日記

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出産について4(授乳)

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上に書いた数字は、出産翌日、病室に赤ん坊を連れてこられてから24時間のあいだに授乳をおこなった時刻だ。紙に記録したものをそのまま打ち込んだ。一日の切れ目がわからなくなり、0時を24時と書いている。

 

出産当日は、出きらなかった胎盤を押し出すなどのつらい処理を施されたのち(分娩室を出る少し前に、助産師さんがビニール袋に入った血まみれの布を持ってきて、「これは持って帰って洗いますか、それともこちらで捨ててしまいましょうか」と聞かれた。口ぶり的に出産のときに私が身につけていた衣類だったようだが、そんなに出血していたらしいことに驚いた)、赤ん坊はどこかへ連れて行かれ、夜中はひとりで過ごすことができた。つまり、好きなときに寝たり起きたりすることができた。

 

翌朝、同日に出産した人とともに会議室のような部屋に集められ、「授乳指導」という時間が設けられた。まずビデオを見せられた。いろんな母子の授乳している光景が流れていたこと以外なにも覚えていないのだが、ばっちり乳首が映り込んでいるわけで、撮影に同意する人ってどんな人なんだろうと思った。その後、病院オリジナルのテキストを皆で読んだ。なにも覚えていない。ところどころで書き込みをしようとボールペンを持ったが、手に力が入らなくて字を書くことができなかった。指導が終わると、赤ん坊が寝かされたキャスター付きのベッドのようなもの(「コット」という)を渡された。

 

出産した総合病院はとても強く母乳育児を推奨していた。「赤ちゃんが泣いたら授乳してください」「一度の授乳には10分から15分かけましょう」と指導された。テレビも時計もない静かな病室で過ぎる10分はものすごく遅かった。スマートフォンの時計を見て時間を計っていたが、授乳を始めた時間がいつだったかすぐ忘れ、混乱した。夜中、授乳中に寝落ちしてしまった赤ん坊をコットに寝かせ、私も眠る。すぐに泣き声があがり、出産でできた傷が痛む体を起こし、椅子までよろよろ歩いて赤ん坊を抱き上げ、授乳する。眠くて眠くて大きなあくびをしたらあごが少し外れた。

 

赤ん坊はまだ胃が小さいから一度に少ししか飲めない。私も母乳の分泌が追いついていない。そういうわけで、ほとんど休む間もなく授乳を強いられる。でも、病院としては、それを乗り越えれば母乳育児が軌道に乗るのだから、入院中はがんばりなさいということのようだった。ただ、この夜はどうしても赤ん坊が泣きやまず、見かねた助産師さんがミルクを少しだけ作ってもってきてくれた。

 

病棟には「授乳指導室」という部屋があり、たまにそこに呼び出され、理想的な授乳方法(私や赤子の体勢など)ができているかチェックされた。部屋には助産師さんが常駐しており、授乳中にスマートフォンを見たりできるような雰囲気ではなかった。ここで過ごす20分間は恐ろしく長かった。「今のやりかたではちょっとダメですね」というようなことを言われ、赤ん坊の首の持ち方、角度のつけ方なんかを微調整された。しかしそれを再現できず、次に見てもらってもやっぱり「ちょっとまだ惜しいですね」と指導された。ちなみに入室時、部屋に他のお母さんがいたときのあいさつは「お疲れさまです」だった。 

 

今思えば、私は入院中、「授乳」という行為の目的をはき違えていたように思う。赤ちゃんのおなかを満たすためにすることのはずなのに、いつのまにか「助産師さんたちに怒られないようにがんばっている感じを出す」が私の行動原理になっていった。指導を受けるうちに、この入院は部活の合宿で、助産師さんたちは怖い顧問とか先輩のように思えてきたのだ。なんとなく、私は助産師さんたちに嫌われやすいのではないかと思い、呼ばれてもいないのにわざわざ授乳指導室まで行って授乳するなど、今思えば何の意味もない、「がんばっているアピール」をしていた。