日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

名前がない、おとなの青春

先日、雨が降っているというのに三輪車で移動したいと言う2歳児を連れて外に出た。片手には傘、片手には手押しの三輪車(その上には15kgの子ども)。雨はそれなりに強い。三輪車に日除けはついているが心許ない。子どもが濡れないように傘を傾けて、前のめりの姿勢で、川沿いの遊歩道を歩く。私のおろしたばかりのシャツワンピースの袖(ベビーカーを押している方の腕)は一瞬にしてびしょびしょ。向こうから来た高齢の男性が「雨なのにたいへんだね」と道を譲ってくれて、子どもとともに一礼。

ふいに子どもが「ぼよよん行進曲」を歌い始める。この曲は、お子様のみならずお父様お母様にも大人気の「おかあさんといっしょ」の名曲。自分の足の下にはバネがついているんだよ、つらいときも、大変なときも、ぼよよよ~ん、と空に向かって跳んでみよう!そんな歌詞。それを私も一緒に歌う。ぼよよよ~ん、イェイイェイイェイイェイ……。

そのときに思ったんです。私、いま○○しているな、と。

そして、その○○に相当する言葉、ないな、と。

わかりやすい例を出すと「青春」でしょうか。思い出すのは高校の文化祭、学年有志で上演したミュージカル。正直、どんなものだったのか、あまり覚えていない。というか、自分が大道具だったのか脚本だったのかキャストだったのか、すら、驚くべきことに思い出せない。でも、教師の理不尽なダメ出しによる企画変更やら練習やら、なんだか苦しくて楽しくて、多分本番が終わったあとはみんな泣いてた。私も泣いてたような気がする。そしてもうひとりの私は思っていた、「ああ、私、いま青春しているな」と。

そういう感じ。

考えてみれば、こういうのは子育てに特有の事象ではない。仕事でもありますよね。私はある。すんごいがんばったことがどうにか終わって、ある程度は評価してもらえて、お疲れさま会をして、そしたら「Good Job」と書かれたケーキが出てきたこととか。

このときの○○に相当する概念、「情熱大陸」、だろうか。

先日の育児における○○、私はまっさきに「西松屋のCM」を連想した。

米米CLUBの「君がいるだけで」をバックに、育児中のひとコマが次々に流れる映像。自転車に子どもを乗せて急坂を登ったり、真夜中に泣く赤ん坊を抱っこしてあやしたり、苦しいけど、幸せだとも読み替えることができるシーンの連続。ああ私いま完全にこれだな、と。

青春時代を終えたあとにもじつはたびたび訪れる青春のような瞬間。ここは言葉のブルーオーシャンかもしれない。という雑談。