「お疲れのあなた」じゃないときも結構あります
たまにお上や企業から不意打ちでメッセージを投げかけられることがある。
育児支援センターの授乳室に入ると、詩が壁一面に掲示されていた。子育ての苦労と喜び、この施設の存在意義がつづられていた。
今もあるかわからないが、生理用品に「自然体でいいよ」「甘えちゃってもいいんだよ」等といった、 労りのメッセージがプリントされていたこともある。産後すぐに使っていた母乳パッドという消耗品には「ママ、今日もおつかれさま。」と書かれていた。
乳幼児向けのおしりふき、商品によっては「残り枚数がわずかですよ」ということを示すために、最後から5枚目の紙に水色の破線が印刷されているのだが、それが「まいにちおつかれさま」という文字(めちゃくちゃ読みづらい)だったときは脱力して笑ってしまった。
ちなみに生理用品とおしりふきは同一のメーカーが製造しているのだが、このメーカーのおむつは赤ちゃんの尿に反応して「だいすき」とか「ありがとう」とか浮かび上がる。
トイレ、着替え、おむつ替え、というのは究極のプライベートな瞬間であるわけで、そこに入りこんで一息ついた瞬間にこうしたメッセージを受け取ると戸惑ってしまう。赤ちゃんの世話をしているあなた、生理中のあなたは疲れているんですよ、と宣告されたような気持ちになるからだろうか。人間なのでしんどいときもあるけれど、元気なときだってたくさんある。そういうときに労られてしまうと、先方が想定しているレベルまで、活力がしぼんでしまうように思える。大げさかもしれないが、特定のペルソナとして他の個人と一緒くたにされて、内面の自由を奪われているような気分になる。
スポーツジムのトイレに貼ってある、痩身エステやプロテインの新味の広告が恋しい。シンプルに購買力がある人間だと思ってくれてありがとう。そう思われたほうが気が楽だ。
とはいえ、善意を多く含有するメッセージに救われる人がたくさんいることは想像できる。こんなことにいちいち反応して文句を垂れる私はほんとうに小さい人間だ。実害がないのだから気にせず放っておけばいいのに、それができない自分がいる。
そういうわけで今日も、 なにか書いてありそうな場所からは物理的に目をそらす。 労られないために、小さな自由を守るために。
正しさと、ちっちゃな逸脱
最近、近所の友だちから「区のパパママ向けのLINEオープンチャットがあって便利だよ」と教えてもらって、早速探して入ってみた。子育ての相談やちょっとした愚痴に始まり、区内の小児科やおでかけスポット、イベントの開催状況やスーパーの混み具合といった子育て中に有益な情報がどんどんシェアされてきて、なんて便利なんだと感動してしまった。しかし1週間も経たずにこのチャットをストレスに感じるようになり、退出することとなった。
ストレスの原因だが、「同じ自治体で乳幼児を育てている」という共通項だけで集まった数百人が自由に発言しているので、ちょっと育児や仕事に対するスタンスが違うな、と感じる人の投稿を見るのが少々しんどかったのがひとつ。
もうひとつ強く感じたのが、すみずみまで行き渡るコンプライアンス意識。チャットの発言の中に法令違反が疑われる内容のものがあると、ほぼ必ず別の誰かが指摘を入れるのだ。
例えば、「子どもを買い物に連れて行くと品物を触ってしまって困るんです」と書く人がいたら、「全部買い取ったほうがいいと思います」と返信する人がいる感じ。1週間ほどで5回くらいこんなやりとりを見た。
正しくないことをしたら一発アウトな世の中で、乳幼児の子育ては「厳しめに自律する方が正しい」となりやすい活動なのだと思う。いったんその場での正しさが規定されると、みなそちらに流れる(「赤ちゃんが泣いちゃっても自然体でOK!」と謳われているイベントや講座でも、ひとりの参加者が泣いた子を泣き止ませようと試み始めたら、周りももう泣く子を放置することはできなくなる)。
特にLINEのオープンチャットという場の特性上、遵法意識がとんでもなく欠けた人もいる可能性があって、そういう人やその子どもを守るためにも、ある程度の「自浄」は必要なのだろう。発言と個人との紐づけも容易に行える可能性は高く、不用意にこぼした言葉がデジタルタトゥーとなって残ることも考えられる。
しかし、匿名の個人がやりとりする場でも、品行方正であろうと相互に求める空気は私には息苦しかった。「近くの神社の節分祭に鬼は出るか」といった唯一無二の情報が得られないのは残念だったが、チャットを抜けて、それ以上に心が休まっている自分がいた。町中でのマナー違反を見張られているような感覚が抜けたのかもしれない。ルールをなるべく守りたがり、他人の違反にも目が行きやすい「正義マン」の自覚がある私でもしんどかった。
正しくない発言をするとすぐ叱られてしまう言論世界の中に、余白を見つけたこともある。
妊娠中にぱらぱらとめくっていた「たまごクラブ」に「初期の妊婦がやっていいこと/ダメなこと」という特集ページがあった。「●●は食べてもいいですか?」「××に出かけてもいいですか?」といった質問が200以上掲載されていて、回答は大学病院の産婦人科でセンター長をつとめる医師が監修していた。
この中に「妊娠前に非合法な薬物を使った経験がある場合、妊娠に影響はありますか?」という問いがあった。それに対する回答は、専門的な見地から質問のみに答えた真摯で納得感のあるものだった。
初めてこのQ&Aを目にしたときは「なかなか攻めたことをするな」としか思わなかったが、次第に感動がじわじわふくらんだ。この悩みを抱える人がいたとして、出発点が違法行為だから、それを誰かに相談するのは難しい。インターネット検索や生成AIを利用して調べて得た答えが信頼に足るものか判断するのもまた難しいだろう。発信者の専門性と読者の匿名性が両立されており、広く不特定多数に届けるために作られている、雑誌だからこそできることのひとつの形がこれなのかもしれない。
現実世界にはちょっと正しくないものはありふれていて、今日もママチャリが変わったばかりの赤信号に突っ込む。オープンチャットでは声掛けをしていた親御さんたちも、きっと実際に見てもいちいち注意はしない。そして正しくないことをしてしまっても実際には「一発アウト」させてもらえるわけでもなくて、これまでと同じ日常を続けなければいけないことがほとんどだ。
起きてしまったことに対して窮屈すぎない余白を心がけたい、と思うけど、自分が正しいときは気持ちいいから、正義マンはなかなかやめられない。一方で、不適切なふるまいをしないで終えられる日なんかほとんどない。みんな結構難しい場所で無意識にバランス取って生きていて、たまにそれを意識してしまうと、とてつもなく難しいことに思えるってだけなのかもしれない。
「あさってはSunday」のこと
中学生のときに1週間だけ入院したことがある。病床に、クラスメイトがMDと手紙とちっちゃい枕を送ってくれた。私も入院した経験があるんだ、と手紙に書いてあった。MDの中身はその子の好きなRAG FAIRのアルバムで、「ラブラブなカップル フリフリでチュー」「恋のマイレージ」など、当時はやっていた曲が収録されていた。
退院してからもそのアルバムをよく流していた(ちなみに枕もいまだに持っていて、以前は職場に置いておいて昼寝に使っていた)。中でも私は、アカペラという歌唱法と曲調が特にマッチしている「あさってはSunday」が好きだった。
ひとつだけ歌詞を聞き取れないポイントがあった。1番サビ前、「そうあれは去年の年明けのちょっと前 唇が僕の目を奪った 冷たい風にじゃれ合うXXの下で」。
この2音がわからない。いったいなにがじゃれ合っているんだろう? 中学生、しかも入院中というシチュエーション。パケホーダイもないガラケー時代。手製のMDだから歌詞カードもなく何も調べられない、MVも気軽に見られないからヒントもない(でも曲名を知っているということは、友達が曲目をシールに書いて貼ってくれたんだろうな)。
いつしかこの曲を聞くと脳が決まった心象風景を再生するようになり、XXは「柳のような葉っぱ」ということになった。揺れる柳葉の下にいる、鮮やかな口紅をつけた女性に一目惚れしたんだな、と。
その後、じゃれあう植物について深追いすることはなかった。脳内再生するとき、および鼻歌で歌うときは、この部分を「ワレの下で」とすることにした。そうとしか聞こえなかったから。私が知らないだけで「ワレ」という葉っぱがある可能性もある。
調べたらすぐわかることだ。しかし、日常の雑事に埋もれて、このことが意識に浮上するのは数ヶ月から数年に一度。その瞬間にタイムリーに検索窓に「あさってはSunday 歌詞」と打ち込めたことがなかった。そうして、気がついたらなんと20年が過ぎていた。土屋礼央は恐妻家になっていて、おっくんは選挙に出て落ちて。そして先月繰り上げ当選したというではないか。
数日前、携帯電話を触れるタイミングで、「ワレ」のことを思い出した。もはやここまで来たら知らないままでいるのも一興かとも考えたが、あっさり調べた。そしてサクッと、「ワレ」じゃなくて、「雨」と歌っていたことがわかった。
出会いは雨の日だったんだ。
明るい曲調に後押しされて自動作成された晴天の脳内MVをまだ更新できてない。冬で雨、濡れて寒くてつらそうだ。残りの人生で、また奇跡的に雑事から解放された瞬間にこのことを思い出せたら、彼らの出会った場面をあらためてていねいに想像してみよう、とか思った。
子育て四年一昔
2019年に第一子、2023年に第二子を産み、たった4年で赤ちゃんの育児にまつわる状況がいろいろと変わったことに驚いている。総じて世の中は赤ちゃんにも養育者にも優しくなる方向に進んでいて、「どんどん育児が楽になるな」と思う。メモ的に挙げてみたい。
育児グッズについて
・抱っこひも
4年前はエルゴベビー一強だったが現在はベビービョルンが追い上げている印象。エルゴは後ろにバックルがあること(悪意ある他人に外されかねない)やゴツいことがマイナスポイントになっているようで。それでも私はエルゴが好き。
・おくるみ
4年前は特に制限なく利用されていたが現在は股関節への悪影響を指摘する声があり巻き方や主流の商品が「足はきつく巻かない」方向性のものにシフト。買い直した。
・スイマーバ(お風呂で赤ちゃんの首につける浮き輪)
4年前は少々グレーな雰囲気もありながら広く受け入れられていたが現在は完全NGなムード。
・ベビーカー
4年前は国内メーカーが主流だった(海外のは手に入りづらく個人輸入する人もいた)が、現在は海外メーカー製のものが手に入りやすくなり利用者も多し。国産のはピジョン以外はダブルタイヤ型が多いが、歩道に段差の多い東京ではシングルタイヤが使いやすいと思うため、シングルタイヤ率が高い海外製が選択肢に入ってくるのはよい。上の子を立たせて乗せられるアタッチメント付きのもの、チャイルドシート兼用のものなど、実用性に優れた製品が多いのもまたよい。
・フルーツフィーダー(おしゃぶり状の離乳食向け食具)
4年前は簡単に手に入らなかったが現在は西松屋のPBで安価に購入可能。第一子のときに試してみたくてできなかったのでありがたかった。
・液体ミルク
4年前は登場したばかり。現在は完全に市場に定着したようで、高いけどそこらじゅうで売っている。外出時などとても便利に使える。しかしまあ大人が見るとめちゃくちゃまずそう。
育児をとりまくビジネスについて
・個人コンサルタント
「赤ちゃんXXコンサルタント」「アドバイザー」「赤ちゃんXXの専門家」を名乗る人が増えたと思う。特に第一子の親が悩みがちなトピックである「ねんね」の業界にはたくさんの個人が進出。「乳幼児睡眠コンサルタント」とかいう資格のスクールまでできていた。インスタグラムの広告で「離乳食アドバイザー」なる人物が流れてきたこともあった。個人的には、赤ちゃんが赤ちゃんである期間は短く、そのときに親が抱える困りごとは成長により勝手に解決することが多いので、「コンサル」的に関わる商売はうまいな、と思う。必ずいつかうまくいくから。
・産後ケア施設(退院後に母子が滞在できる、主に母体を休めるための施設)
4年前はごく限られた助産院や病院でのみこういうサービスが提供されていたが、現在は観光や不動産、アミューズメントといった業界の各社が参入。ものすごい額がかかるが、椿山荘などのホテルの空き部屋に宿泊し、赤ちゃんを預かってもらったり、三食出してもらえたり、授乳の指導を受けたりできる。産後ケアに特化した施設「マームガーデン葉山」が有名だが、運営がバリアンとかパセラの会社なんだよな(だからどうとかではないけど、とりあえず施設にカラオケがついてる)。医療行為をおこなうわけではないから開業しやすいのかもしれない。
・ベビーテック
子育てをテクノロジーで手助けするサービスや商品のこと。2019年に初回の「BabyTech Award Japan」が開催されたらしく、その頃にこの言葉は認知できていなかった。4年前、それ系のアイテムは「自動で揺れるベッドやバウンサー」くらいしか見たことがなかったが、現在、都からポイントをもらったカタログギフトの中に「赤ちゃんの泣き声をAIが解析し泣いている理由を教えてくれるライト」があって驚いた。(他にもいろいろ機能があるようだけどそこだけ見ると)バウリンガルじゃないか。いろいろ言いたくなるけど老害しぐさになりそうだからやめる。でも例えば将来、自分の子どもが育児をするときにこういうのを使って「なるほど、おむつだって」とか言っていたらまあ何か言っちゃうでしょうね。
・お教室、習いごと系は、赤ちゃん関連だとさすがにあまり変化はないと思う。
公的な支援について
・お金
2019年の時点ですでにたくさんの補助や支援がありありがたいと感じていたが、さらに拡充された。保育料の無償化、出産育児一時金の増額、赤ちゃんファースト(「百合子」がちらつくこのネーミング、都民は妊娠出産すると15万円のカタログギフトがもらえるという事業)などなど、逆にありがたみが薄れてくるくらいいろいろしてもらえるようになった。
・サービス
こちらも4年前に比べて、上記のような産後ケア含む各種親子向けサービス(家事代行とかシッターとか)利用時の補助が増えたり、保育園の定員が増員されたりと、嬉しいことしかない。逆に改悪されたものごとを私はほとんど知らない。男性育休も政府が取得率を上げたいようで、法改正があって取りやすくなった。個人的には「妻が仕事復帰する」「上の子供の世話」以外の目的で長く取る必要はない、と考えているけれど、それは各家庭の問題なので。個人的にはとにかく保育園に入りやすいのがありがたい。私が生む数年前は「保育園に入れず退職」はザラにあったが、今は聞かない。換えのきかない専門職とかバリキャリとかではない普通の労働者である自分が、普通に仕事に戻れることに感謝したい。
2023年に日本で生まれた子どもの数は史上最少だそうで、これからも少子化のトレンドは進んでいくのだと思われる。でも世の中、本当に子育てしやすくなっていて、ああ、日本死なないで、って私は思っている。
芝生と美白と筋肉と
近所にそれは美しい芝生広場を擁する公園がある。昨年暮れにこの地域に越してきたのだが、物件探しをしていた頃からその広場は周りのイチョウ並木とあいまって印象に残っていおり、子供を連れてくる想像をして悦に入っていた。
ふたを開けてみると芝生にはほとんど常に入ることができなかった。春が来るまでは「養生中」。緑が茂るようになっても「今日は保守日です」の看板。
そういえば、新宿中央公園もイケ・サンパークも南池袋公園もそうだった。「立入禁止」のロープが張り巡らされていた。隣の芝生は青い。きれいな芝生には入れない。
なんだかそれは「肌が白い人は紫外線を避けるために肌を完全に隠している」ことを想起させる事実だった。(参考記事:https://gendai.media/articles/-/99230)
それで、どこかで見た「マッチョは筋肉をでかくするためにいつも筋トレをしておりいつもどこかが筋肉痛だからパワーが出せない」という話を思い出した。
目的と、それを実現させるための手段と、目的に伴う周囲が期待する機能とが、ちょっと噛み合わない。なんでもほどほどがいいよ、という話なのかもしれないけれど、ままならないことって多い。
キャリアの空白期間からこんにちは
無痛分娩の記録3(産後の入院生活)
入院した日の夕方に出産を終え、4泊5日の入院生活が始まった。
前回の産後入院は合宿のようなあんばいでつらい思いをしたのは前述の通り。そのためとにかく休みたい旨を申告したことも前述した。結局、希望は受け入れられて望んだとおりになった。
出産直後は夫と私と産まれた子供とで2時間ほど分娩室に置き去りにされた(そのとき子供がどんな様子だったかはなぜか覚えていない。泣かずに起きていたのだっけ)。その後、個室に案内され、タブレットを渡された。ここに入院生活の流れやら育児指導の動画やらが格納されているから見ておいてほしい、ということだったが、「当院のごあんない」的な資料しか表示されなかった。しかしそこを追及する力はなし。
そして夕食が運ばれてきた。豚肉にデミグラスソースがかかった主菜にごま油を絡めた根菜サラダ、という不思議な献立だったがおいしかった。その後、診察を受けて消灯。長子と離れて寝るのは実に彼女を産んだその日ぶりのことだった。
翌朝、タブレットを見ると各種スケジュール等が表示されるように変わっていた。こういうのをそのたびに忘れずこなす気がせず、食事やら授乳やらといった予定をまとめて自分の携帯のカレンダーに登録し、5分前に通知が飛ぶように設定した。これでひと安心。
その後の入院生活は、3時間おきに新生児室に行って授乳とおむつ替えをおこない赤ちゃんを返すと、診察やマッサージ、食事といった自分の予定をこなしていき、さらに体調の記録を義務づけられる日々で、まあまあ忙しかった。
妊娠後期から足が痛むようになって杖なしで歩くことができなくなり、それが産後まで続いたら困ると思っていたが、出産が終わるとともに完治したらしかった。分娩によって新たにできた傷や筋肉痛のつらさはあるが、前日まで根本的に二足歩行を妨げていた、股関節の痛みはもうない。それがどれだけうれしかったか。院内の移動はなるべくエレベーターを避け、不必要なくらい階段を使った。
入院2日目だったか、アラームが鳴ったのでいつものように新生児室に赤ちゃんを迎えに行き、ミルクやおむつを済ませ、返しに行こうとしたら、肌着が汚れてしまっていることに気がついた。私のおむつの不始末が原因だ。新生児室で着替えさせてほしい旨を話し、衣服を替えると、眠っていた子どもが起きて泣いてしまった。自室に帰ろうとしたら、助産師さんから「寝かしつけてから返してくれますか」と言われた。え、寝かしつけ? 信じられないことに、経産婦であり、またそうでなくても自分の子どものことであるにもかかわらず、私はこの子のお世話についての当事者意識や責任感が欠落していた。とりあえず泣き声をBGMにキャスターつきのベッドをごろごろ押して部屋に戻り、赤子を抱き上げ、なんとなくゆらゆらして過ごしていたら眠ってくれたのでベッドにそっと置いて、新生児室に戻しに行った。面倒くさい、と思ってしまった。しかし退院したらこれをやらないといけないんだ、と暗い気持ちになった。
一方で、おなかも満たされていておむつも濡れていない、それでも泣いている、という状態で困り果てていたら(今思うとそんなことで困るなよと思うが)スタッフの方が声をかけに来てくれて預かってもらったこともあった。ありがたかった。その後赤ちゃんはどんなふうに過ごしたんだろう。
退院前夜。赤ちゃんを3時間おきに新生児室に迎えに行く生活に少し飽きてしまい、21時半から0時半は同室で世話をしたいと頼んでみた。なんだか夜は新生児が覚醒するタイミングらしく、たしかにその3時間はたくさん泣かれてしまった(退院後の新生児期もしばらく同様で、この時間帯は「ハズレ回」と呼ぶことで自らのテンションを下げないようにしていた)。
なお、この日は夕食が「お祝いディナー」ということで、病院最上階のラウンジに集められ、ちょっとしたコース料理を出してもらう日だった。夫のみ招待可能で、夫婦で食事する人もいたし、そうでない人もいた。そうでない人たちはひとつの円卓に集められ、おしゃべりをしていた。ラウンジはすてきな空間だったが、そこにあるすてきな椅子にも出産の傷に配慮された円座クッションが置かれているのがなんだか非日常的でおかしかった。
最終日(入院5日目)。退院のための診察に呼ばれ、待機の列に加わった。ひとり明らかに歩みがおぼつかなく、ヨタヨタ、フラフラしている患者がいた。たぶんこの人は並ぶ列を間違えている。彼女は「おい、お前新入りか?」と私に話しかけられる寸前に助産師さんに声をかけられ、出産翌日に受講する授乳指導の部屋に連れて行かれていった。人はたった5日で見違えるくらい回復する。私の回復状況も問題なく、その日に赤ちゃんと一緒に退院することとなった。事前に預けておいた布にくるまれた赤ちゃんを受け取り、病院の自動ドアを抜けて、12月にしては温かい外気と陽光の中に歩いて出ていった。まぶしい光にもすぐ目が慣れた。夫と、5日間会いたくて仕方なかった上の子供がいた。
最後に料理の写真を貼っておく。食事がおいしい病院、との前評判どおり、三食とおやつが常に最高だった。私は食事を楽しみにしすぎて、タブレットに示される献立表をいっさい見ないよう気を張った。以下、ごはんの一部。なんとなく、担当の方々が楽しんで献立を決め、作ってくださっているのが伝わってきた。






計画無痛分娩の記録2(出産)
出産当日の朝8時に来院せよといわれていた。陣痛も来ず破水もせずその日までの期間をやりすごすことに成功し、朝風呂に浸かり、またおにぎりをたくさん作って冷凍した。そして大量の荷物を抱えて病院に向かった。
それまで5階建ての1階部分で検診を受けてきたが、初めて2階部分に足を運んだ。エレベーターの回数表示画面には「四字熟語クイズ」という虫食いクイズが映っていたが、この私(クイズ王)が、答えを知らない問題が出た。緊張していたのかも。
さっそく分娩室に案内されてベッドに寝そべり、生理食塩水的なものの点滴を打たれ、胎児の心音やおなかの張りを計測する機械を装着された。特に異常なし。血圧を計測し、下が55くらいだった。平常運転。
数十分後、麻酔を入れるためのカテーテルを背中に挿入する処置をおこなう。背中を丸めた姿勢になり、そこに局所麻酔を打ち、感覚がなくなったらカテーテルを入れる。私はまったく痛いとは思わず、むしろ手の点滴の方が気になったくらいだが、助産師さんと院長が長めの雑談をふってくれて、ここはきついポイントであることが推測された。病気とか陣痛とか、自分の中で作り出される痛みもつらいけれど、点滴とか注射みたいな人為的・外傷的な痛みもまた嫌なものだ。
まだ何もしていない時点で、すでに子宮口は5cmまで開いているとのことだった。「陣痛促進剤を入れたあとに5cmになったら麻酔を打つ。それまでは我慢」と事前に説明を受けていたが、痛みなく目標地点に到達できていたようだった。当然なにも痛くないため、麻酔を入れることはしない。「お昼ごはんとおやつの間ごろには産まれそう」との見立て。この病院では前月から夫のみ出産の立ち会い時間が無制限となったそうで、お昼をどこかで食べてもらったあとに呼んでもいいかもね、ということだった。
少しうたた寝をしてしまった。助産師さんが入室。子宮口は6cm、陣痛はなし。進んでいない、とのこと。そこで自分が、カテーテルを入れたころから陣痛促進剤を点滴されていたことを知った(薬剤の名称に「オキシトシン」の文字が入っていた。あの幸せホルモンの)。確かにそのときは全然痛くなかったが、薬の量を増やして数十分すると、おなかが痛む感じになってきた。麻酔のタイミングは私が任意で決めてよいようだが、お産の進みを考慮して、もう少しがんばってから「だいぶ痛い」くらいで入れてもらうことになった。
それから20分。陣痛促進剤の投与が始まってから2時間程度の時点で「だいぶ痛い」という感覚になってきて、陣痛とは関係なく腰もつらくなってきたため、麻酔を入れてもらうよう依頼。ぴゃっ、ぴゃっ、と冷たいものが背中を通っていく感じが気持ち悪かった。右手では定期的に血圧が計測されており、低くなると赤ちゃんに空気が届かなくなるため、そのときは麻酔は取りやめるということだった。また内診があったが子宮口の状態は変わらず、胎児も下がっていないようで、「奥の方で開いているという表現がぴったり」ということだった。
「あと3回くらい陣痛の波が来て、そのあと麻酔が効き始める」との助産師さんの予言どおり、痛みは15分くらいで去っていった。その前後に夫も分娩室に来て、互いに特にやることのない時間を過ごす。ベビー用品をネットで探すなどした。
12時、昼食が運ばれてきた。麻酔中は絶飲食という決まりがある病院が大半であるなか、ここは軽食なら食べてもよいようだった。とはいえ、副作用で吐いてしまう人も多いらしく、吐くのは嫌だったのであまり食べないようにした。13時前、麻酔の効果が切れてきたようで痛みが増したため追加を依頼。十数分がまんしてまた無痛状態に。
眠ったり起きたりして14時、助産師さんからみた状況は変わらず。30分ほどして院長が来室。「破水させます」と言われ、大きなはさみの持ち手部分のようなものが視界に入ってきた。下半分を見ないよう目をそらした。何をされていたのかよくわからないが破水させられた。羊水が出る感覚があった。「ここからすぐ進むかもしれない」と言われた。
モニターされていた胎児の心音が「下に降りてきたときの音」に変わってきたらしい。すぐに痛みが増えてきて、15時ごろに麻酔を増やしてもらう。陣痛促進剤の流量は12の倍数で増え続けていて、出せる最大値になっていた。そして、確かに、身体の下の方に何か大きなものがある感覚が出てくる。
「いきみたいのでは」と助産師さんに尋ねられ、「はい」と答えると、「じゃあ出産しましょう」と、唐突に準備が始まった。子宮口は8か9cm。「子宮口が全開=10cmにならないといきんではいけない」と進研ゼミで習ったはずだし、陣痛の間隔も3〜5分くらいなのだが、助産師さんのこの高度な判断により、フェーズはぬるっと最終段階に移行した。それまで寝ていたベッドが分娩台の仕様になるのは前回の病院と同じ。いきみやすいように足を支える板なんかが出てくる。部屋にも、数種類のユニフォームを着た医療従事者の方々が集まってくる。
麻酔が効いてくるが、痛い。痛みに合わせて、助産師さんに教えてもらったとおりに息を吸って止めて力を入れる。何度もやる。きつい(ちなみに病院の方針により入室からここにいたるまでずっと不織布のマスクを着けている)。助産師さんがすごく落ち着いた医師に「いきんでいるけど進まない。まだかかりそう」と報告している。麻酔が最高に効いている状態であるために進捗が悪くなってしまったようだ。とはいえ痛みの波はくるし、そうしたら全力でいきむしかない。「一度いきむのをやめてみましょう」という提案を受け、試す。痛すぎて地獄。内診をするとやっと子宮口が全開。でも進捗はなさそう。破水したあとのあたりから、もうおなかを切って出してくれとずっと思ってきたが、さすがにここまできたらその選択肢はない。私はやっと「無痛分娩であってもこの出産で産むことができるのは私しかいない」という当たり前のことを自覚した。
基本的に医師や助産師の方々は私の足側にいるのだが、横にひとりの助産師さんが現れた。次の痛みがきたら、おなかの上の方をすごい力で押された。「ここを押し返すつもりでいきんでみて」と言われ、そのとおりに力を入れる。さらにきついが、手応えみたいなものを感じる。そして、土曜日の早朝に高田馬場の駅前ロータリーに落ちていてハトがついばんでいるようなもの、を連想する。
全力でおなかを押されながら数回いきんだのち、落ち着いた医師が「赤ちゃんも子宮も疲れてきているので吸引して出します」と宣言。やっと終わる、と思った。しかし器具の準備に時間を要している模様で、トイレ詰まりのときに使うものにしか見えない何かが視界の端をちらちら動き、近づいてこない。
その間にも容赦なく陣痛はくる。おなかを押される。どこに何の力を入れているかもはやわからないが、全力で押し返す。3回くらいそれをやると、「もう力を抜いて大丈夫」と言われ、バーのようなものを握っていた手を胸の上で組まされた。大きなものがずるずると出てくる感覚。ようやく、吸引できたらしい。いきみ始めてから30分で赤ちゃんが誕生した。赤ちゃんはすぐに元気に泣いた。
最初から最後までピンと来なかったお産が無事に終わった。後産の処置をされている間(ここは麻酔がいい感じに効いていてまったく痛くなかった)、結局、吸引はせず出産にいたった旨を告げられた。会隠切開もしなかったそうだ(した場合より医療費がちょっと安くなるはず)。分娩時間は初産同様の6時間、とはいえ苦しんだのは1時間いかないくらいで、出血は初産の3分の1以下。かなり、楽をすることができた。子供は体重が2,900gある、胴体に比べて頭がかなり大きな男の子だった。
一度目に自然分娩を体験した立場から考えると、計画無痛分娩は陣痛促進剤と麻酔を使うため、なんだか「実感」のようなものがないまま出産に突入するような感覚があった。これが映画だとしたら自然分娩のほうがおもしろいだろう。でも分娩の数時間〜数十時間のあともずっと人生は続くので。子供までついてくるので。
無痛にしてよかったと思う。前回おぼえた「自分の身体が激しく損傷してしまった」という怖さ(それは1年間くらい続いた)がまったくないから。もちろん、出産当日にヒールを履いて大衆の前に出てきたキャサリン妃のような芸当はできないし、その日の夜は病室のブラインドをおろす気力もなく、明るい部屋で就寝せざるをえなかった。しかし飲む痛み止めの量も、歩き方も、気持ちも、二度目ということを差し引いても、前とはまったく違って、うれしい。
これが私が体験した無痛分娩の話で、病院やその日の医療スタッフの考え方、妊婦自身の体質や出産歴といったことに大きく依ることだと思うため誰かの参考になるような内容ではないと思うが、自分が記録として残しておきたくて書きました。無事に妊娠と出産を終えられて本当によかった。
計画無痛分娩の記録1(出産前夜まで)
分娩日の決定
37週0日(=出産予定日3週間前かつ「早産」と認定されない最初の日)の検診で「すでに産まれそうだから一週間以内に入院したほうがいい」と判定された。特に説明を受けたわけではないが、診察室のパソコンの画面を盗み見したところ子宮口が4.5cm開いているような感じの記述があった。4.5cmとは、前回の出産時でいうと、陣痛が5分間隔になって分娩台に乗せられていたときと同じ数字だ。
予約が取れる日取りの選択肢は2つあり、近い方(6日後)を薦められたためそうすることとした。もし私の体調がよければ猶予期間を増やすために少し遅らせたかったのだが、とにかく足とおなかの痛みがつらくて、少しでも早く解放されたかった。
「本当に産まれそうなので、陣痛をうながすような行動(歩き回るなど)はしないでください。少しでも何かあればすぐに連絡してください。また、○日と○日は無痛分娩ができません」との補足ももらった。この病院では無痛分娩に対応できる医師が院長しかおらず、不在時に陣痛がくると自然分娩になってしまうのだ。その日に陣痛が来ることだけは避けたい。
出産までの6日間
太って怒られることを極度に恐れていたため体重を過度にコントロールしてしまい、その検診の日の体重は妊娠前プラス3kgだった(増えていなさすぎるが、胎児は平均的な成長を続けていたので特に注意は受けず)。もう母子手帳、つまり半公的な書類に体重を記録されることもないし、残り6日間は死ぬほど食べ、好きに過ごすことにした。
とはいえ普段より家にいる時間が増えるタイミングだった上の子供の世話に追われる時間も長く、公園遊びにつきあったり、自転車に乗せて送迎をおこなったりと、日常生活を送らざるをえなかった。骨盤ベルト、股関節サポーター、湿布、カイロといったアイテムを腰付近に装着し、外では杖、家ではキャスター付きの椅子に体重を預け、痛みや負荷の軽減をはかった。座りすぎてお尻が痛くなったりもした。満身創痍だ。
前回の出産にかかった時間は6時間だった。二度目の出産は初回の半分程度が分娩時間の目安となるらしい。ということは、陣痛が始まったら3時間で産まれてしまう。病院には上の子を連れて行くことができない決まりで、ふたりきりでいるときにどう対応するか、家族とシミュレーションをしていたものの、そうなることは避けたかった。そのうち「3」という数字も脳内で2で割られ、90分で産まれてしまうような妄想に取り付かれるようになった。今回の妊娠では陣痛もどきが頻繁に出現していたこともありとても恐ろしかった。それも「遅くとも6日後までには産まれる」と確定したことにより、その日まで皆の予定がつけられ、私のぼんやりとした不安は解消された。計画分娩にしてよかった。
家から出るのもままならないため、入院の準備を進めた。出産はまだまだ先だと思っていたころに生協で注文してしまった肉や野菜を半分調理したり、子供用のおにぎりを大量に作ったりして冷凍庫に詰めた。出産前日には、当日の夜のカレーも作った(こういうことをやるのが好き)。自分はパンとかケーキみたいなマリーアントワネットのような食事を好き勝手にとった。
ヨギボーに寝そべり、BTSのコンサートの映像を見た。
休日は家族で近くに出かけた(出先で妊娠期間中最大レベルの腹痛に襲われ焦ったが、痛みにリズム感がなくずっと痛かったため放置というか我慢していたら遠のいていった)。
気になっていたパン屋でパンを買い占め誰にも渡さずひとりで食べた。
そうして時間が過ぎていった。
つづく。
出産前夜の日記
「出産前夜」と表記できることが計画分娩のすごさだと思う。自然分娩は陣痛の発来を待つしかないから。
先日「1%の風景」というドキュメンタリーを鑑賞した(ちなみに今日はずっと見たかったYet To Comeを見ることができた。テテかっこよすぎんか?)。この数字が表すのは「日本の分娩数における助産院および自宅での出産の割合」とのこと。その選択をしたいくつかの家族の記録映画だった。お産を扱う助産院の方が「私は待つのが好き」と語るのが印象的で、なんでもかんでも自分の思い通りに管理したい私とは正反対だと感じたのだった。
どの産婦さんも「自分で決める」ことを大切にしていた。背景はさまざまであり、上の子を産んだときの病院のお産がしっくりこなかった人や、赤ちゃんを取り上げてくれる人とじっくりお産に向けて進んでいきたい人など、それぞれの希望があるようだった。
ただ「自分のお産について自分で決めること」それ自体は出産の手段を問わず実現できることでもあって、彼女たちが結果として助産院を選んだのと同じように、私は計画無痛分娩を選んで決めたのだろうと思った。
関連記事などを読んでいると、少し前までは助産院での出産を選ぶ人は比較的に高学歴の女性が多かったのだということだった。自分で調べて納得してやってくるのだと。私自身も東京で暮らす大卒の正社員というペルソナであるが、周囲には第一子から無痛分娩を選択する人が全国平均よりかなり多かったように感じる。いずれもそもそものインフラ(分娩を扱う助産院およひ無痛分娩対応の病院)の充実が下敷きにありそうだが、根っこは自己決定権の話なのかしらと思ったりした。
それにしても。「無痛分娩は実は途中までは普通の出産と変わらず痛い」というルポを何本も摂取してきたにも関わらず、なんとなくそれは自分には当てはまらないことだと思いこんでいた。改めて病院からもらった資料を読んだら、思いっきりそう書いてあった。自分の脳みその曲解能力というのか、調子のよさが恥ずかしい。
とにかく夜中に眠れないのが続いてもう眠い。明日はお尻が見えないからもう寝ます。