日記

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計画無痛分娩の記録1(出産前夜まで)

分娩日の決定

37週0日(=出産予定日3週間前かつ「早産」と認定されない最初の日)の検診で「すでに産まれそうだから一週間以内に入院したほうがいい」と判定された。特に説明を受けたわけではないが、診察室のパソコンの画面を盗み見したところ子宮口が4.5cm開いているような感じの記述があった。4.5cmとは、前回の出産時でいうと、陣痛が5分間隔になって分娩台に乗せられていたときと同じ数字だ。

予約が取れる日取りの選択肢は2つあり、近い方(6日後)を薦められたためそうすることとした。もし私の体調がよければ猶予期間を増やすために少し遅らせたかったのだが、とにかく足とおなかの痛みがつらくて、少しでも早く解放されたかった。

「本当に産まれそうなので、陣痛をうながすような行動(歩き回るなど)はしないでください。少しでも何かあればすぐに連絡してください。また、○日と○日は無痛分娩ができません」との補足ももらった。この病院では無痛分娩に対応できる医師が院長しかおらず、不在時に陣痛がくると自然分娩になってしまうのだ。その日に陣痛が来ることだけは避けたい。

 

出産までの6日間


太って怒られることを極度に恐れていたため体重を過度にコントロールしてしまい、その検診の日の体重は妊娠前プラス3kgだった(増えていなさすぎるが、胎児は平均的な成長を続けていたので特に注意は受けず)。もう母子手帳、つまり半公的な書類に体重を記録されることもないし、残り6日間は死ぬほど食べ、好きに過ごすことにした。

とはいえ普段より家にいる時間が増えるタイミングだった上の子供の世話に追われる時間も長く、公園遊びにつきあったり、自転車に乗せて送迎をおこなったりと、日常生活を送らざるをえなかった。骨盤ベルト、股関節サポーター、湿布、カイロといったアイテムを腰付近に装着し、外では杖、家ではキャスター付きの椅子に体重を預け、痛みや負荷の軽減をはかった。座りすぎてお尻が痛くなったりもした。満身創痍だ。

前回の出産にかかった時間は6時間だった。二度目の出産は初回の半分程度が分娩時間の目安となるらしい。ということは、陣痛が始まったら3時間で産まれてしまう。病院には上の子を連れて行くことができない決まりで、ふたりきりでいるときにどう対応するか、家族とシミュレーションをしていたものの、そうなることは避けたかった。そのうち「3」という数字も脳内で2で割られ、90分で産まれてしまうような妄想に取り付かれるようになった。今回の妊娠では陣痛もどきが頻繁に出現していたこともありとても恐ろしかった。それも「遅くとも6日後までには産まれる」と確定したことにより、その日まで皆の予定がつけられ、私のぼんやりとした不安は解消された。計画分娩にしてよかった。

家から出るのもままならないため、入院の準備を進めた。出産はまだまだ先だと思っていたころに生協で注文してしまった肉や野菜を半分調理したり、子供用のおにぎりを大量に作ったりして冷凍庫に詰めた。出産前日には、当日の夜のカレーも作った(こういうことをやるのが好き)。自分はパンとかケーキみたいなマリーアントワネットのような食事を好き勝手にとった。

ヨギボーに寝そべり、BTSのコンサートの映像を見た。

休日は家族で近くに出かけた(出先で妊娠期間中最大レベルの腹痛に襲われ焦ったが、痛みにリズム感がなくずっと痛かったため放置というか我慢していたら遠のいていった)。

気になっていたパン屋でパンを買い占め誰にも渡さずひとりで食べた。

そうして時間が過ぎていった。

つづく。