日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

二人目妊娠の話(「つわり」を振り返る)

今回の妊娠は、前回より重いつわりに苦しんだ。妊婦側の「体質」的なものがつわりの軽重をわけているのだとなんとなく思っていたが、違ったようだった。

今度のつわりは妊娠が判明する少し前から安定期に入った頃まで、3ヶ月ほど続いた。「お約束」だが、「お米が炊けるにおいが気持ち悪い」が自覚できた最初の症状だった。特に利用はしていないが、検査薬がまだ反応しないくらいの時期の話。白米が特に好きではない非国民なので、そもそもこの香りに思い入れがあるわけでもなく、「最近暴飲暴食が過ぎたから胃の調子が悪いのかな」と妊娠を疑うこともなかった。時が経ち妊娠が確定してから、「あ、そういえば、つわりとのファーストミートはあれだったな」と思った。

つわりにはいくつかの種類がある。「気持ち悪くて吐く」が特にメジャーシーンで知られているけれど、「常に食べていないと気持ち悪い」「においを強く感じる」「よだれが止まらないが気持ち悪くて飲み込めない」など、意味不明なバリエーションがたくさんある。

前回は通称「においづわり」がメインで、そのときは「食事がとれずつらい」とも思っていた。しかし当時の日記を読むと、揚げ物を食べたりディズニーランドに出かけたりとやりたい放題で、主観的なつらさと客観的な行動がかみ合っていなかった。

今回はシンプルに「悪酔いした飲み会の帰り道」みたいな状態が続いた。とにかく気持ちが悪くて、なにも食べる気が起きず、「今の私ならどんな食べ物の悪口だって言える」と思った(今回もまた嘔吐に至ることはなかったが、毎日「今日こそ吐く。もう無理だ。」と感じる瞬間があった)。

とはいえ、食べないとおなかが減る。それはそれで気分が悪くなる。そのためいくつかあった「食べられるもの」を食べ続ける毎日だった。

まず「冷製ポタージュ(油脂類抜き)」。これをホットクックで大量に作った。冷えないと食べられないからリードタイムがかなり長いのが課題ではあったが、ここに入れた牛乳が貴重なタンパク源となった。次に「まぜごはんで作った一口大のおにぎり(半解凍)」。肉類が入るのは無理で、ギリギリいけた鯖缶と梅酢と大葉などを混ぜ、ちっちゃいのを大量に作って冷凍し、レンジに30秒くらいだけかけたものをよく食べていた。これも作成開始から胃に収まるまでの時間が長すぎた。

そんなわけで、もっともお世話になったのが、「超熟イングリッシュマフィン」だった。バターやマーガリンの類、そして甘いものが完全に無理になっていた私にとって、同商品のストイックな原材料は好適だった。そして、とにかくどこでも売っているのと、手間がかからないのがありがたかった。パン屋で売っているフランスパンも同じ理由でよく食べていたが、ある日を境に食べられなくなってしまった。香ばしいのがだめだったのか。ちなみに、フランスパンは1本まるまるがんばって食べても600kcalと、私の基礎代謝の半分程度。努力が割に合わない、と思った。

体重はみるみる落ちていき、もとの体重の1割をゆうに越える重さが減って(5パーセント落ちると問題、みたいに言われている)、そのせいで春なのにいつも寒く、頬もこけ、一日いちにちが経つのがびっくりするくらい遅かった。病院からもらったカレンダーに「○月○日ごろからつわりが軽くなります」とあったのに、まったく症状がおさまらず、絶望もした。食の喜びが失われた人生ってこんなにつらいものなのかと思った。

それでも季節が変わる頃には少しずつ食べられるようになった。エビアボカド以外無理だったお寿司も、数日前からセットリストをイメージトレーニングしてから臨めば、「穴子」とか「玉子」、「とろたく」あたりもいけるようになった。人との食事の約束を翌月以降に入れ始め、土用の丑の日に向けて生協でうなぎを注文した。安定期となる16週ごろからは、弱体化した胃腸が肉類およびそれまで食べられていた量を受け付けなかった以外は、ほとんど元通りになった。「後期つわり」という話も聞くが、いまはもう問題なく食事ができる。これがどんなにありがたいことか。喉元を過ぎると、結構なんでもしつこく覚えている私でさえ、忘れてしまうんだけど。

余談だが、元来食べることが大好きで、こんな状況でも食べ物に対する熱意はまったく失われず、料理本や雑誌などのコンテンツは好んで摂取した。あるとき「孤独のグルメ」の再放送で、確か木場あたりにある北インド料理店の回を見ながら「絶対に好き。でもめちゃくちゃキモい」というアンビバレントな感情を抱いた。ラムと各種ハーブやスパイスのカレーなどが画面に大写しになっていた。

また幸い、におい系のトラブルは少なかったこともあり、料理は苦になるどころかむしろとても楽しかった。自分なりの「正解」を探るのも、自分は好まないが家族が好きそうな味付けの食事を作るのも、ささやかな、数少ない楽しみだった。作る量を見誤ることは何度もあったけれど。