日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

計画無痛分娩の記録2(出産)

出産当日の朝8時に来院せよといわれていた。陣痛も来ず破水もせずその日までの期間をやりすごすことに成功し、朝風呂に浸かり、またおにぎりをたくさん作って冷凍した。そして大量の荷物を抱えて病院に向かった。

 

それまで5階建ての1階部分で検診を受けてきたが、初めて2階部分に足を運んだ。エレベーターの回数表示画面には「四字熟語クイズ」という虫食いクイズが映っていたが、この私(クイズ王)が、答えを知らない問題が出た。緊張していたのかも。

 

さっそく分娩室に案内されてベッドに寝そべり、生理食塩水的なものの点滴を打たれ、胎児の心音やおなかの張りを計測する機械を装着された。特に異常なし。血圧を計測し、下が55くらいだった。平常運転。

 

数十分後、麻酔を入れるためのカテーテルを背中に挿入する処置をおこなう。背中を丸めた姿勢になり、そこに局所麻酔を打ち、感覚がなくなったらカテーテルを入れる。私はまったく痛いとは思わず、むしろ手の点滴の方が気になったくらいだが、助産師さんと院長が長めの雑談をふってくれて、ここはきついポイントであることが推測された。病気とか陣痛とか、自分の中で作り出される痛みもつらいけれど、点滴とか注射みたいな人為的・外傷的な痛みもまた嫌なものだ。

 

まだ何もしていない時点で、すでに子宮口は5cmまで開いているとのことだった。「陣痛促進剤を入れたあとに5cmになったら麻酔を打つ。それまでは我慢」と事前に説明を受けていたが、痛みなく目標地点に到達できていたようだった。当然なにも痛くないため、麻酔を入れることはしない。「お昼ごはんとおやつの間ごろには産まれそう」との見立て。この病院では前月から夫のみ出産の立ち会い時間が無制限となったそうで、お昼をどこかで食べてもらったあとに呼んでもいいかもね、ということだった。

 

少しうたた寝をしてしまった。助産師さんが入室。子宮口は6cm、陣痛はなし。進んでいない、とのこと。そこで自分が、カテーテルを入れたころから陣痛促進剤を点滴されていたことを知った(薬剤の名称に「オキシトシン」の文字が入っていた。あの幸せホルモンの)。確かにそのときは全然痛くなかったが、薬の量を増やして数十分すると、おなかが痛む感じになってきた。麻酔のタイミングは私が任意で決めてよいようだが、お産の進みを考慮して、もう少しがんばってから「だいぶ痛い」くらいで入れてもらうことになった。

 

それから20分。陣痛促進剤の投与が始まってから2時間程度の時点で「だいぶ痛い」という感覚になってきて、陣痛とは関係なく腰もつらくなってきたため、麻酔を入れてもらうよう依頼。ぴゃっ、ぴゃっ、と冷たいものが背中を通っていく感じが気持ち悪かった。右手では定期的に血圧が計測されており、低くなると赤ちゃんに空気が届かなくなるため、そのときは麻酔は取りやめるということだった。また内診があったが子宮口の状態は変わらず、胎児も下がっていないようで、「奥の方で開いているという表現がぴったり」ということだった。

 

「あと3回くらい陣痛の波が来て、そのあと麻酔が効き始める」との助産師さんの予言どおり、痛みは15分くらいで去っていった。その前後に夫も分娩室に来て、互いに特にやることのない時間を過ごす。ベビー用品をネットで探すなどした。

 

12時、昼食が運ばれてきた。麻酔中は絶飲食という決まりがある病院が大半であるなか、ここは軽食なら食べてもよいようだった。とはいえ、副作用で吐いてしまう人も多いらしく、吐くのは嫌だったのであまり食べないようにした。13時前、麻酔の効果が切れてきたようで痛みが増したため追加を依頼。十数分がまんしてまた無痛状態に。

 

眠ったり起きたりして14時、助産師さんからみた状況は変わらず。30分ほどして院長が来室。「破水させます」と言われ、大きなはさみの持ち手部分のようなものが視界に入ってきた。下半分を見ないよう目をそらした。何をされていたのかよくわからないが破水させられた。羊水が出る感覚があった。「ここからすぐ進むかもしれない」と言われた。

 

モニターされていた胎児の心音が「下に降りてきたときの音」に変わってきたらしい。すぐに痛みが増えてきて、15時ごろに麻酔を増やしてもらう。陣痛促進剤の流量は12の倍数で増え続けていて、出せる最大値になっていた。そして、確かに、身体の下の方に何か大きなものがある感覚が出てくる。

 

「いきみたいのでは」と助産師さんに尋ねられ、「はい」と答えると、「じゃあ出産しましょう」と、唐突に準備が始まった。子宮口は8か9cm。「子宮口が全開=10cmにならないといきんではいけない」と進研ゼミで習ったはずだし、陣痛の間隔も3〜5分くらいなのだが、助産師さんのこの高度な判断により、フェーズはぬるっと最終段階に移行した。それまで寝ていたベッドが分娩台の仕様になるのは前回の病院と同じ。いきみやすいように足を支える板なんかが出てくる。部屋にも、数種類のユニフォームを着た医療従事者の方々が集まってくる。

 

麻酔が効いてくるが、痛い。痛みに合わせて、助産師さんに教えてもらったとおりに息を吸って止めて力を入れる。何度もやる。きつい(ちなみに病院の方針により入室からここにいたるまでずっと不織布のマスクを着けている)。助産師さんがすごく落ち着いた医師に「いきんでいるけど進まない。まだかかりそう」と報告している。麻酔が最高に効いている状態であるために進捗が悪くなってしまったようだ。とはいえ痛みの波はくるし、そうしたら全力でいきむしかない。「一度いきむのをやめてみましょう」という提案を受け、試す。痛すぎて地獄。内診をするとやっと子宮口が全開。でも進捗はなさそう。破水したあとのあたりから、もうおなかを切って出してくれとずっと思ってきたが、さすがにここまできたらその選択肢はない。私はやっと「無痛分娩であってもこの出産で産むことができるのは私しかいない」という当たり前のことを自覚した。

 

基本的に医師や助産師の方々は私の足側にいるのだが、横にひとりの助産師さんが現れた。次の痛みがきたら、おなかの上の方をすごい力で押された。「ここを押し返すつもりでいきんでみて」と言われ、そのとおりに力を入れる。さらにきついが、手応えみたいなものを感じる。そして、土曜日の早朝に高田馬場の駅前ロータリーに落ちていてハトがついばんでいるようなもの、を連想する。

 

全力でおなかを押されながら数回いきんだのち、落ち着いた医師が「赤ちゃんも子宮も疲れてきているので吸引して出します」と宣言。やっと終わる、と思った。しかし器具の準備に時間を要している模様で、トイレ詰まりのときに使うものにしか見えない何かが視界の端をちらちら動き、近づいてこない。

 

その間にも容赦なく陣痛はくる。おなかを押される。どこに何の力を入れているかもはやわからないが、全力で押し返す。3回くらいそれをやると、「もう力を抜いて大丈夫」と言われ、バーのようなものを握っていた手を胸の上で組まされた。大きなものがずるずると出てくる感覚。ようやく、吸引できたらしい。いきみ始めてから30分で赤ちゃんが誕生した。赤ちゃんはすぐに元気に泣いた。

 

最初から最後までピンと来なかったお産が無事に終わった。後産の処置をされている間(ここは麻酔がいい感じに効いていてまったく痛くなかった)、結局、吸引はせず出産にいたった旨を告げられた。会隠切開もしなかったそうだ(した場合より医療費がちょっと安くなるはず)。分娩時間は初産同様の6時間、とはいえ苦しんだのは1時間いかないくらいで、出血は初産の3分の1以下。かなり、楽をすることができた。子供は体重が2,900gある、胴体に比べて頭がかなり大きな男の子だった。

 

一度目に自然分娩を体験した立場から考えると、計画無痛分娩は陣痛促進剤と麻酔を使うため、なんだか「実感」のようなものがないまま出産に突入するような感覚があった。これが映画だとしたら自然分娩のほうがおもしろいだろう。でも分娩の数時間〜数十時間のあともずっと人生は続くので。子供までついてくるので。

 

無痛にしてよかったと思う。前回おぼえた「自分の身体が激しく損傷してしまった」という怖さ(それは1年間くらい続いた)がまったくないから。もちろん、出産当日にヒールを履いて大衆の前に出てきたキャサリン妃のような芸当はできないし、その日の夜は病室のブラインドをおろす気力もなく、明るい部屋で就寝せざるをえなかった。しかし飲む痛み止めの量も、歩き方も、気持ちも、二度目ということを差し引いても、前とはまったく違って、うれしい。

 

これが私が体験した無痛分娩の話で、病院やその日の医療スタッフの考え方、妊婦自身の体質や出産歴といったことに大きく依ることだと思うため誰かの参考になるような内容ではないと思うが、自分が記録として残しておきたくて書きました。無事に妊娠と出産を終えられて本当によかった。