日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

無痛分娩の記録3(産後の入院生活)

入院した日の夕方に出産を終え、4泊5日の入院生活が始まった。

前回の産後入院は合宿のようなあんばいでつらい思いをしたのは前述の通り。そのためとにかく休みたい旨を申告したことも前述した。結局、希望は受け入れられて望んだとおりになった。

出産直後は夫と私と産まれた子供とで2時間ほど分娩室に置き去りにされた(そのとき子供がどんな様子だったかはなぜか覚えていない。泣かずに起きていたのだっけ)。その後、個室に案内され、タブレットを渡された。ここに入院生活の流れやら育児指導の動画やらが格納されているから見ておいてほしい、ということだったが、「当院のごあんない」的な資料しか表示されなかった。しかしそこを追及する力はなし。

そして夕食が運ばれてきた。豚肉にデミグラスソースがかかった主菜にごま油を絡めた根菜サラダ、という不思議な献立だったがおいしかった。その後、診察を受けて消灯。長子と離れて寝るのは実に彼女を産んだその日ぶりのことだった。

翌朝、タブレットを見ると各種スケジュール等が表示されるように変わっていた。こういうのをそのたびに忘れずこなす気がせず、食事やら授乳やらといった予定をまとめて自分の携帯のカレンダーに登録し、5分前に通知が飛ぶように設定した。これでひと安心。

その後の入院生活は、3時間おきに新生児室に行って授乳とおむつ替えをおこない赤ちゃんを返すと、診察やマッサージ、食事といった自分の予定をこなしていき、さらに体調の記録を義務づけられる日々で、まあまあ忙しかった。

妊娠後期から足が痛むようになって杖なしで歩くことができなくなり、それが産後まで続いたら困ると思っていたが、出産が終わるとともに完治したらしかった。分娩によって新たにできた傷や筋肉痛のつらさはあるが、前日まで根本的に二足歩行を妨げていた、股関節の痛みはもうない。それがどれだけうれしかったか。院内の移動はなるべくエレベーターを避け、不必要なくらい階段を使った。

入院2日目だったか、アラームが鳴ったのでいつものように新生児室に赤ちゃんを迎えに行き、ミルクやおむつを済ませ、返しに行こうとしたら、肌着が汚れてしまっていることに気がついた。私のおむつの不始末が原因だ。新生児室で着替えさせてほしい旨を話し、衣服を替えると、眠っていた子どもが起きて泣いてしまった。自室に帰ろうとしたら、助産師さんから「寝かしつけてから返してくれますか」と言われた。え、寝かしつけ? 信じられないことに、経産婦であり、またそうでなくても自分の子どものことであるにもかかわらず、私はこの子のお世話についての当事者意識や責任感が欠落していた。とりあえず泣き声をBGMにキャスターつきのベッドをごろごろ押して部屋に戻り、赤子を抱き上げ、なんとなくゆらゆらして過ごしていたら眠ってくれたのでベッドにそっと置いて、新生児室に戻しに行った。面倒くさい、と思ってしまった。しかし退院したらこれをやらないといけないんだ、と暗い気持ちになった。

一方で、おなかも満たされていておむつも濡れていない、それでも泣いている、という状態で困り果てていたら(今思うとそんなことで困るなよと思うが)スタッフの方が声をかけに来てくれて預かってもらったこともあった。ありがたかった。その後赤ちゃんはどんなふうに過ごしたんだろう。

退院前夜。赤ちゃんを3時間おきに新生児室に迎えに行く生活に少し飽きてしまい、21時半から0時半は同室で世話をしたいと頼んでみた。なんだか夜は新生児が覚醒するタイミングらしく、たしかにその3時間はたくさん泣かれてしまった(退院後の新生児期もしばらく同様で、この時間帯は「ハズレ回」と呼ぶことで自らのテンションを下げないようにしていた)。

なお、この日は夕食が「お祝いディナー」ということで、病院最上階のラウンジに集められ、ちょっとしたコース料理を出してもらう日だった。夫のみ招待可能で、夫婦で食事する人もいたし、そうでない人もいた。そうでない人たちはひとつの円卓に集められ、おしゃべりをしていた。ラウンジはすてきな空間だったが、そこにあるすてきな椅子にも出産の傷に配慮された円座クッションが置かれているのがなんだか非日常的でおかしかった。

最終日(入院5日目)。退院のための診察に呼ばれ、待機の列に加わった。ひとり明らかに歩みがおぼつかなく、ヨタヨタ、フラフラしている患者がいた。たぶんこの人は並ぶ列を間違えている。彼女は「おい、お前新入りか?」と私に話しかけられる寸前に助産師さんに声をかけられ、出産翌日に受講する授乳指導の部屋に連れて行かれていった。人はたった5日で見違えるくらい回復する。私の回復状況も問題なく、その日に赤ちゃんと一緒に退院することとなった。事前に預けておいた布にくるまれた赤ちゃんを受け取り、病院の自動ドアを抜けて、12月にしては温かい外気と陽光の中に歩いて出ていった。まぶしい光にもすぐ目が慣れた。夫と、5日間会いたくて仕方なかった上の子供がいた。

最後に料理の写真を貼っておく。食事がおいしい病院、との前評判どおり、三食とおやつが常に最高だった。私は食事を楽しみにしすぎて、タブレットに示される献立表をいっさい見ないよう気を張った。以下、ごはんの一部。なんとなく、担当の方々が楽しんで献立を決め、作ってくださっているのが伝わってきた。