日記

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出産前夜の日記

「出産前夜」と表記できることが計画分娩のすごさだと思う。自然分娩は陣痛の発来を待つしかないから。

先日「1%の風景」というドキュメンタリーを鑑賞した(ちなみに今日はずっと見たかったYet To Comeを見ることができた。テテかっこよすぎんか?)。この数字が表すのは「日本の分娩数における助産院および自宅での出産の割合」とのこと。その選択をしたいくつかの家族の記録映画だった。お産を扱う助産院の方が「私は待つのが好き」と語るのが印象的で、なんでもかんでも自分の思い通りに管理したい私とは正反対だと感じたのだった。

どの産婦さんも「自分で決める」ことを大切にしていた。背景はさまざまであり、上の子を産んだときの病院のお産がしっくりこなかった人や、赤ちゃんを取り上げてくれる人とじっくりお産に向けて進んでいきたい人など、それぞれの希望があるようだった。

ただ「自分のお産について自分で決めること」それ自体は出産の手段を問わず実現できることでもあって、彼女たちが結果として助産院を選んだのと同じように、私は計画無痛分娩を選んで決めたのだろうと思った。

関連記事などを読んでいると、少し前までは助産院での出産を選ぶ人は比較的に高学歴の女性が多かったのだということだった。自分で調べて納得してやってくるのだと。私自身も東京で暮らす大卒の正社員というペルソナであるが、周囲には第一子から無痛分娩を選択する人が全国平均よりかなり多かったように感じる。いずれもそもそものインフラ(分娩を扱う助産院およひ無痛分娩対応の病院)の充実が下敷きにありそうだが、根っこは自己決定権の話なのかしらと思ったりした。

それにしても。「無痛分娩は実は途中までは普通の出産と変わらず痛い」というルポを何本も摂取してきたにも関わらず、なんとなくそれは自分には当てはまらないことだと思いこんでいた。改めて病院からもらった資料を読んだら、思いっきりそう書いてあった。自分の脳みその曲解能力というのか、調子のよさが恥ずかしい。

とにかく夜中に眠れないのが続いてもう眠い。明日はお尻が見えないからもう寝ます。