日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

二人目妊娠の話(後期の体調不良いろいろ)

今回の出産は入院したその日に陣痛促進剤を投与されて出産までやる計画分娩となる予定。その日取りが明日に迫っている。先ほどから、安産に効くとかいうラズベリーリーフティを飲み始めた。付け焼き刃すぎる。

妊娠経過は順調だったものの母体の体調不良には悩まされ続けたこの妊娠。今この瞬間もつらい後期の体調のことを書いておく。誰も楽しくない体調不良の話題。

つわりの時期を過ぎた妊娠中期、つまりいわゆる安定期は唯一、活力のあるタイミングだった。悩みは「頻尿」くらい。子供がインフルエンザに感染して看病したときも私にうつることはなかったし、コロナワクチンを打ってもほとんど副反応が出なかった。もちろん、普段よりは疲れやすくなるなどしたが、それも日常生活に支障をきたさない程度のものだった。

妊娠後期に入ったころ、ちょっと心拍数が上がるような行動をとると、腹痛が出るようになった。「おなかの張り」と呼ばれるものかもしれない(二度の妊娠を通してわたしはあまりこの感覚をつかむことができず)。でもそれもすごく困るような症状ではなかった。YouTubeでマタニティヨガの動画を見つけて毎日運動するなどしていた。

それから一ヶ月。ある日、いつもどおり起きると、右足の付け根(股関節側)に結構な痛みが走るようになっていた。ちょっと腰痛なんかは出ていて湿布を貼ったり骨盤ベルトを巻いたりしていたが、それとは比にならない。「常に痛い」というよりは特定の姿勢や動作をすると立っていられない痛みにおそわれる。あるときは、あまりにも痛すぎて、「転ぶ」という動作を能動的におこなってしまった。

杖を持ち足を引きずって歩く生活が始まり、今も続いている。なんなら、一番楽なので、自転車にも乗っている(昨日まで)。

なお、足が痛み始めた時点で妊娠前から増えていた体重は1キロくらいであり、痛みの原因は「妊娠そのもの」と結論づけられた(医者とか整体院とかで)。妊娠が継続される限りは特に治療の手だてもないと各所でいわれてしまった。「薬やめますか、それとも人間やめますか」というキャッチコピーを思い出す。

ちなみになぜか、発症後10日ほどしたある日、とつぜん痛む足が右から左足に変わり、右足は治った。合点がいかない。

先ほど、バスでおばあさんが席を譲ってくれた。おなかが大きくて杖をついているからだろう。ありがたく座った。妊娠してから初めて、公共機関で座席を譲ってもらった。

街の人は、基本的にとっても優しい。どんくさい私は何回も杖や小銭を道に落としていて、そのたびに老若男女誰かが駆け寄って拾ってくれる。でも「席を譲る」行為は無償の優しさではなく既得権益(自分が取った座席)の明け渡しであるからか、ハードルが一段高い行為なのだと思われる。私自身、身軽なときは必ず人に座席を譲ってきたが、それもまあ心身ともに健康だったからできたことなのだろう。優しいおばあさん、本当にありがとうございました。

そして続く体調不良。産休入り直後ごろから今度は「前駆陣痛」という「陣痛の練習」みたいな腹痛が起きるようになってしまった。おなかの中ににんじんを10本ほど詰めて
、そのにんじんがゴロゴロ動いて圧迫してくるような。または、生理痛の一番重いやつのような。あるいは、腹痛で医者にかかったところ「ここが痛いですか」と、痛いところを触診され続けるような。そういうバラエティ豊かな腹痛が頻繁に現れるようになてしまった。本当に痛いときはしゃべれない。右のような顔をして痛みが去るのを待つ。→(>□<)

もはや4年前の出産の痛みなど忘れてしまったが、こんな感じだったような気もする。痛いだけじゃない。怖いのは、これが本当の陣痛で、そのまま出産につながってしまうかもしれないところだ。もはや家や病院から離れた場所に出かけるのも怖く、小学生みたいな行動範囲内で生活をするしかない。これがなかなかメンタルを削ってくる。

そんな「痔」レベルのトラブルがいつも2〜3ある状態も今日で終わり。本当にうれしい。足の痛みがどう転ぶかはよくわからないが、前駆陣痛については、産めば必ず治る。日記を読み返すとほとんど毎日、そういうことが書いてある。

それにしても前回の妊娠との違いが激しくてちょっと戸惑う。前回は本当に元気で、日々電車に乗って好きなところに出かけ、好きなものを食べ、友達に会い、死ぬほどしょうもない資格を2つも取っていた(ITパスポートとFP3級)。この体調不良は加齢によるものなのか、それともまったく別のファクターがあるのか。別に妊娠経過(胎児の体調や、出産に関わる部分の私の体調)に問題がなければ、詳しく調べてもらえることもなく、そのままお産に突入していくんだよなあ。それがフェミニズム的な課題だとかは思わないけれど(どちらかというと何を病気とするか、という医療側の話だと思料。その判断に社会政治的なものが含まれるわけではないように思う、医療って病気じゃないものは治さないもんだと考えるため)。