日記

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出産について5(入院生活)

産後は5泊6日の入院生活を送った。なんとなく助産師さんたちの機嫌を伺いながら、出産を経てぼろぼろになった体で、ずっと赤ちゃんと一緒に過ごす生活が始まった。印象的だったことを箇条書きで振り返ってみる。

 

・出産直後、「お母様がたへ」という病院オリジナルのテキストを渡され、今後のスケジュールを説明された。病室に入ると助産師さんがかわるがわるやってきて、さまざまな紙を渡された。ひとつは赤ん坊の授乳や排泄、体温の様子を記録するもの。自分についても同様の紙を渡された。これの記入を何度も忘れてめちゃくちゃだった。特に自分が食事をどれほど食べたか書く欄。毎回完食していたので。

 

・入院中は何度か会議室的な部屋に集められ、何らかの指導を受けた。「授乳指導」、「沐浴指導」、「調乳指導」、「退院指導」など。

 

・調乳指導はミルク会社(明治、森永、雪印といった)の人が来て行われた。粉ミルクの作り方と、なぜか中学の家庭科で教わりそうな食品やら栄養やらの話をされた。どうでもよすぎて寝てしまった。指導を受けていたのは3人だけで、小さなテーブルを囲んでやっていたのに。

 

・退院指導では、自宅に戻ってからの暮らしについて助産師さんから説明を受けた。そして恐らく行政の要請により、中学の保健体育で教わりそうな家族計画の話をされた。「コンドームで避妊できる確率は100%ではありません」「ピルは女性が主体的に避妊できる方法です」みたいな、すでに何度も何度も何度も何度も聞いてきた話をされてわけがわからなかった。しかもこの出産直後というタイミングで。

 

・シャワーは予約制で、30分の間、赤ん坊を新生児室に預けて入ることができた。私は「助産師さんに嫌われてはいけない」脳になっていたので、予約時間ちょうどに新生児室に行ったら、赤ちゃんを大事にしていない人みたいかなと思い、無駄に3分くらい遅らせて行き、シャワーも一瞬で浴びるようにしていた。

 

助産師さんへのポイント稼ぎのため、無駄に授乳室に通った。お母さんたちは、ちょっと高い声、猫撫で声みたいな声で赤ちゃんに話しかけながら授乳をしていた。私は人前でそういうことをするのは無理だった。最初の何日間かは赤ちゃんの名前も決まっていなかった。結局、退院するまで無言で授乳していた。

 

・赤ちゃんが突然、目に指を突っ込んだときだけは「ちょっと、おい」みたいなことを話しかけた。

 

・ホルモンバランスが狂ったからなのか足の裏から汗をかきすぎて、サンダルを素足で履くのが気持ち悪かった。また暑くて病室の温度を23度くらいにしていたら助産師さんに叱られた。

 

・出産中のどこかのタイミングで、ふくらはぎに血栓ができないよう、メディキュットのようなストッキングを履かされた。産後の入院中もそれを毎日履くよう言われたが、筋肉痛や出産でできた傷の痛みがひどく、ストッキングを履く動作ができず、しかもストッキングには謎の血がついていたのが怖かったので、ほとんど履かずに過ごしていた。当然助産師さんには注意された。

 

・出産翌日だけ持ち込んだ化粧品を使って化粧してみたが、その次の日からそんな余裕はなくなった。昼夜を問わない授乳により一日の区切りがなくなり、化粧をするタイミングもよくわからなかった。

 

・食事はそんなにおいしくなかった。入院費用をあとから見たら、一食2,000円も取られていて本当に驚いた。

 

・新生児室には病院のスタッフしか入れない。部屋の外から、赤ちゃんのお父さんと思われる男性が、ずっと窓にはりついて赤ちゃんを見ていた。本当にずっと。気持ちはわかると思った。

 

・退院の近づいたある日、赤ん坊を預けてシャワーを浴び、新生児室に迎えに行った。すやすや眠る我が子を見て「うちの子はかわいいな」と思った。名札を見たら違う子だった。

 

そんなハードな日々を過ごしてやっと退院した。今思えば、助産師さんに怯えすぎだった。

 

ある日「お祝い膳」としていただいたローストビーフ

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子供は先日生後6ヶ月を迎えた。あっという間だった。