日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

2020/6/8の日記

育休中に緊急事態宣言が出て、もともと少なかった人との接触をさらに減らすことになり、自分がどういう人間だったのかわからなくなってきた。自我の輪郭がぼんやりしているような感覚。私は自分のことを、割と自我がはっきりしていて、他人に流されない部類の人間だと思っていたけれど、というよりは、他者との距離を計ることで自我を規定していたのかもしれない。あの人はああだけど私はこうだな、と、その積み重ねが私の思う私像になっていたようだ。みんな多かれ少なかれそうだと思う。

 

ユアグローの『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』を通販で購入して読んだ。米ニューヨーク在住の作家が4月から5月にかけて書いた短編集。訳者は柴田元幸。しばしば作家とオンライン通話をして執筆を励ましていたそうで、ほとんど編集者も兼ねていると考えてもいいのかも。届いた本は小さくて薄くてホッチキス留めされていた。新型コロナウイルスをめぐるあれこれがモチーフのSF調の、ざらっとした小話がいくつか。ニューヨークの重苦しい空気がなんとなくわかったような気がする。6月になった今は黒人差別をめぐってさらに重苦しくなっているのかな。その点、この本は感染症のみが世間の大問題だった頃に書かれた話であり、それは純粋で貴重なのかもしれない。読んでよかった。取ってつけたような感想だけど、本当に。

 

今月から新聞を取り始めた。購読のお礼という形でもらったカタログギフトがしょぼかった。ビール6缶を注文した。うちは集合住宅なので、新聞を手に取るためには、玄関ではなく階下のエントランスまで降りなければいけない。しかも乳児を連れて。面倒以外の何者でもないが、重い重い腰がだいぶ軽くなった。大した達成のない毎日の中で、新聞を読めば、最低限の何かをできているような気がする(気のせい)。

 

出産間近の友達とちょっとやりとりして、赤ちゃんの育児(のつらさ)について考えことがあったので、近いうちにまとめる。