日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

2021/8/12の日記

ちょっとした時間を利用して作文の練習をしようと思い、また定期的に更新をする(何度目の決意だ)。

 

ブログの更新がとだえていた理由はだいたい100個くらいあって、忙しいとかなんとかいくらでも言い訳を述べられるのだが、まずは私が、私の周りにいる人について、インターネット上で言及することを避けているのが大きい。そういうポリシーでインターネットをしてきたが、このたびの出産やらステイホーム要請やらで家族と過ごす時間が長くなりすぎて、それ抜きに身辺雑記のようなものを書くのがすごく難しく、どうしても筆が止まってしまっていた。

そういうなかで無理やり自分のことだけひねりだしてみる。

 

オリンピックを全然見なかった。

 

もともとスポーツ観戦は時間をドブに捨てている感覚が強くあまり好きではないのだが、特に今回は思い入れのある選手や種目がなかった。

 

ゆいいつ開会式には思い入れのある小山田圭吾が関わるはずだったが過去のドン引きエピソードにより市民の強い怒りを買い降板という結果に。私も高校時代にフリッパーズギターを知りこれを最高に愛していたわけだが、この件を知ってから小山田個人のことは嫌いになり、「人格の小沢・才能の小山田」みたいな棲み分けを脳内でおこない、最終的に小沢健二ばかり聞く大学時代をすごした。その小沢健二も不倫報道が出ていたね……。

 

余談だが、先日撮りためた写真をテレビ画面で見るためスマートスピーカーに「スライドショー流して」と話しかけたところ、フリッパーズギターのマイナー曲である「スライド」とかいう曲を流してくれた。センスいいな。

 

開会式と閉会式はバッハのあいさつのところ以外は見た。カメラを止めるな!の前半部分のようだと思った。ようするにつまらんなと感じてしまったわけで、自分がこういったショーに求めているのは、サプライズや統一感、そして技術的なすごさであるということが確認できた。そういうものは全体主義的なもので、もはや今の世の中では望まれていないのかもしれないとか思いもしたが、とりあえずヤフーニュースのコメント欄では同じような意見の人が多くて安心した(ヤフコメを指針にするような人間になってはいけない)。

 

トップにビジョンがないからこういうことになってしまったという意見をどこかで見た。それは非常に納得できるもので、「多様性と調和」っぽい概念が脈絡なく織り込まれており(その脈絡のなさのピークは唐突にImagineが流れた瞬間に訪れた)、配慮っぽいことをしているというアリバイだけはできる見せ物であると思った。それに思想の一貫性がないとこうもひどいコンテンツになるのかと思った。

 

ここでいうトップとは日本の菅首相のことなのだろう。ちょうど安倍政権から菅政権に変わったころに私は転職活動をしていて、「安倍は良くも悪くも何らかのビジョンを持って政権運営をしていたが菅にはそれがない」という話をめちゃくちゃたくさん聞きながら、菅さんにめちゃくちゃ共感していたことを思い出した。私も特にビジョンとか意見とかを持っておらず、面接の受け答えに苦労したので。

 

でも日常生活では困らないし仕事も一生懸命やってるんだからそれで別に問題ないじゃんと開き直ってきたが、なんだか自分の人生がこの開会式みたいなものになったらすごくいやだと今回はじめて危機感を覚えた。しかしビジョンってどうやって持てばいいのかな。みんなに聞いてまわりたい。

 

おわり。