日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

2021/3/4の日記

1歳の子どもを見ていると、たまに自分の子ども時代のことを思い出す。当たり前のことだが、子どもは世の中の仕組みをほとんど理解していない。物理的にも社会経済政治的にも全部。

 

私は4歳くらいだった頃から23歳で就職して実家を出るまで、その、「世の中の基本的な仕組みの中に自分が適切に理解/アクセスできていないものがある」という状態がとてもつらかった。電車の切符を買うとか生協のカタログを見て注文するものを決めるとか役所から届いた封筒を開けて正しいレスポンスをするとか。そういうことをひとつひとつわかっていって、あと金銭的にも誰からも頼らなくてよくなって、あ、自分ひとりでもイケる、という瞬間が訪れてから、ほんものの自分の人生が始まった感覚がある。別にこういうことをつらいと思わない人がいるのも知っている。少なくとも1歳くらいの赤子がいちいちそんなことでつらがっていたら心がもたないだろう。しかし子どもが、例えば音の鳴るおもちゃのボタンを上手に押せなくて好きな曲が流れず怒っているような場面に出くわすとなんだかすごくつらくなる。

 

 

 

オリンピックの組織委員会の長が代わった数日後の朝のニュース(テレ朝)。テロップが「聖子会長」だった。女性であることを強調したいがためのファーストネーム表記なのだと思うけれど違和感。

 

過去に中学生のテストを採点するアルバイトをしていたことがある。太宰治の随筆を題材とした文章題の答えで、作者を「治」と表記する子が結構いたのが印象的だった。漱石とか鴎外」下の名前で呼ぶのが通例なので、「昔の文学者」というくくりでそうしたい気持ちもわかるけれど違和感。そんでいろいろと考えて、SMAPは基本的にみんな苗字呼びも名前呼びでもイケるけど、中居くんだけ「正広」とは言われないよね。逆に嵐で日常的にファーストネームで呼ばれるのは翔くんしかいないよね。とか思った。(オチがない)

 

 

Nintendo Switchが家にあるのにリングフィットアドベンチャーしかソフトがない。この状態が半年くらい続いている。ゲームをする時間が捻出できないわけではないが、しかし限られた可処分時間をゲームに振り分けていいのか不安。現状、ゲームをしていないからといって時間を有効活用できているわけではないけど。だったら絶対に楽しいに決まっているゲームをしたほうがいいのでは。こういうことを考える時点でゲームというか気分転換全般に向いていない。