日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

2018/9/4の弁当と友達の信頼が嬉しかった話

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もらったオクラ、もらったパン。この写真は部屋の照明をすべて消して窓辺で撮影している。こんな雨の日でもなかなかいい具合に撮れますね。

 

先日大学時代の友達と食事をしていて、専業主婦になりたいか否かという話になった。専業主婦の意味について、「家事育児を担うという表面的な労働の話ではなくて、家族にとって、家族に起きるあらゆることを引き受ける(準備のできている)人がいることにすごく意義があるんだろうね」というようなことを話した。友達は「そういう生き方は『運命に対して敬虔』ということだよね」と、病気の家族の介助をする一家を例に挙げ、踏み込んで返事をくれた。

 

この場面、「敬虔」という言葉がすごくしっくりくるなぁと話す最中から思っていた。友達は賢く、また言葉でものを考える人で、変わらず単語の選び方がさえていた。と同時に、話し言葉で「けいけん」と聞いた受け手が、「敬虔」と正しく漢字変換できない可能性も大いにあるとも思った。「経験」とか。それを私は「敬虔」として受け取り、友達の意図するところを汲むことができて、たぶん二人ともそれぞれ考えを深めることができた。私は口語では「敬虔」って使ったことはないと思う。ほんのちょっとしたことではあるけれど、賢い友達が私を信じてパスを出してくれたような気がしてとても嬉しく思った。パスの動作が含まれたスポーツの経験(けいけん)が乏しすぎるので、この例えは適切じゃないのかもしれないな。