日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

手すりのない橋

この題名は何かの比喩ではない。縄文杉に至るトレッキングルートにある、本物の橋のことを、私は書いている。落ちたら無傷ではいられないであろう高さにある、人がすれ違えないような幅の橋だ。それを歩いて渡るという人生最悪の恐怖体験と、その前後で見た美しい景色について、書いていく。

 

屋久島の縄文杉は、少なからぬ人の「一度は見てみたいけれどなんだかんだ行けていない」スポットなのではないだろうか。私にとってもそうだった。今回、東京から2泊3日の旅程で縄文杉を見てきて、「少しは大変だったけれど、すごく大変というわけでもないな」という感想を抱いた。橋を渡ることを除いては。

 

f:id:naoko1989:20181110010742j:image

トレッキングをしたのは旅の2日目。登山口から離れたホテルに宿泊していたため、目覚ましを設定したのは2時50分とスーパーワーキングマザーのような時刻だった。注文しておいた弁当をフロントで受け取り、4時始発のバスに乗り込む。一度乗り換えをして(乗り換える場所から先はマイカー規制ゾーンでバスでしか行けない。バスの定員以上に登山客が集まったため1本見送った)、6時前には登山口に着くことができた。混み合う休憩所で弁当を立ち食いして、歩き始めると辺りが明るくなってきた。

f:id:naoko1989:20181110010802j:image

登山口から縄文杉までは往復22km、時間にして9時間ほど歩くことになる。22kmとは中央線の東京・三鷹間くらいの距離だと言ったらわかりやすいだろうか。標高600m地点から1300m地点まで登ることになる。実は九州最高峰の山は屋久島にあって、縄文杉はその宮之浦岳への登山ルートの途中にあるのだ。ここは置き換える必要はないけれど、高尾山が標高599mだ。片道11kmのうち、はじめの9km程度はほとんど平坦なトレッキングルートで、クライマックスの2kmだけ本格的な登山道になる。登山道に入らないと、縄文杉はおろか、有名なハートの形のウィルソン株や大王杉、夫婦杉を拝むこともできない。

 

昭和の中頃まで、屋久杉は屋久島の貴重な産出物だった。ルートの途中には、林業関係者が住んでいた集落がある。何も残ってはいないけれど、小学校の跡地なんかがあったりして、隔離された場所で生活が完結している点で、少し軍艦島っぽい。切り出した杉材はトロッコに載せて運んでいた。それで、その軌道を、現在の私たちがトレッキングルートにしている。つまり、上に書いた9kmのほぼ平らな道とは、トロッコ軌道なのだ。

 

ロッコ軌道って何という人が大半だと思うのでもう少し説明すると、幅1.5メートルほどの枕木の上に幅70センチほどのレール、その内側にまた木でできた踏み板のようなものが隙間なく敷いてある。木でできた細い線路みたいなものだと言えばわかりやすいだろうか。この軌道がずっと続く。このコースは基本的に一本道で、進むか戻るかしかできない。

f:id:naoko1989:20181110005708j:image

人がひとり歩ける程度の幅だ。狭くはない。

 

歩き始めて数分で、大きな吊り橋にさしかかる。吊り橋ももちろんトロッコ軌道だ。枕木のすき間から、足下に流れる川がチラチラ見えてちょっと怖い。でも、この怖さは嘘の怖さだ。手すりで守られて、ほとんど落ちる可能性もないのに、「怖い」ぶっている、まやかしの怖さだ。ちょうどそれは、床がスケルトンになった観覧車に乗ってキャーキャー言うようなものだろう。本来の怖さとは、命の危険をともなうものだ。私はすぐにそれを味わうことになる。

f:id:naoko1989:20181110005809j:image

しばらく歩くと「愛子橋」と表示のある橋が現れる。吊り橋ではなく、岸と岸の間に板を渡したような構造の橋だ。記憶がおぼろげだが、たしかマンションの2階ほどの高さの場所にあり、手すりがない。裸の橋だ(さっきの吊り橋の写真から手すりを脳内で省いていただきたい)。こんな橋は歩いたことがないので、はじめは感情をうまく処理できずに歩を進めたが、向こう岸に着く頃には恐怖が追いかけてきた。落ちたら危ないんじゃないか、これ。

 

ロッコ軌道は、コンクリートよりは歩きやすいが、きちんと足を上げて歩かないと、たまに板と板のすきまにつま先を引っかけてよろける。これが橋の上で起きたらどうなっていたんだ。渡り終えたあとから、起きなかったことを心配し始める。でもその心配は無駄ではなかった。少し歩いた先に、もっと高い場所に架かったもっと長い裸の橋があったから。

 

橋なので、川に架かっている。多分、川底からは建物4階か5階くらいの高さだ。落ちたら死にそうだ。谷底には世界の縮尺が壊れてしまったかのようなでかい石が転がっている。でかい石って「岩」じゃないのと思うかもしれないが、形状が「石」なのだ。色が薄くて表面はなめらかで、「石」なのだ。石にビッグライトをあててでかくしたような、狂った大きさの石が何個も何個もあって、狂った光景だと思ったが、恐怖でおかしくなっていたのときちんと景色を見られなかったのとで誇張して覚えているのかもしれない。橋の長さは50から100メートルくらい。私にとっては「カイジ」の「鉄骨渡り」も同然だった。

 

聞きたくないことを言われたら耳をふさいでわーわー大声を出して聞こえないようにする、そういうタイプの行為をこの鉄骨渡りでもおこないたかったけれど、大声を出しても目をつぶっても恐怖を和らげる助けにはならない。そろそろと歩き始める。そのとき私は軍手をはめて右手に杖を持っていたが、それさえ邪魔というか、何か危険を呼んでしまう要素のように感じられた。少しの違和感が命取りになるように思えた。足もとをみすえて一歩を踏み出すと、枕木の間や視界の両端からはるか遠くに見える巨石たちが、自分の動きに合わせてめっちゃ動く。視覚がおかしくなりそうだ。渡り終えると手がべとべとになっていて、軍手をつける違和感をさらに増していた。

 

あとからガイドブック(若い女性向け)を見返したら「スリリングスポット」として楽しげに鉄骨渡りが紹介されていた。写真だとちょっとした思い出スポット、楽しげに見える。何でもそうなんだろう。週に一度はテレビで見かけるバンジージャンプ。ひもにつながれた芸能人は怖い怖いと泣き叫んでいる。あんなの怖くないだろうと今までは鼻で笑っていた。でも違う。本人にとってはこの世の終わりとか鉄骨渡りみたいなものでも、安全圏から見ると、怖さは中和されてしまう。

 

さらに進んだ先にもう一本鉄骨渡りがあることに気づいたときには、本当にもうやめようかと思った。「やめる」って何を? 私は絶叫マシンが苦手で、中学生の頃なんかに友達と遊園地に行くと、一緒に列に並ぶものの、乗る段階になってごねて列から外れていた。そういう感じで鉄骨渡りを回避できないかと思った。でもこの状況を「やめる」というのは無理な話なので、仕方なく渡った。途中から笑いが止まらなくなって、橋が終わったあとも数十秒くらい笑い続けた。これが漫画とかでよく見る、怖かったあとにへらへら笑うやつなんだなと笑いながら思った。このあたりは心が死んでいたので写真がない。

 

そこから先の橋にはなぜかすべて頑強な手すりがついていた。でもそんなことは歩いている途中にはわからないので、いつまた鉄骨渡りが来るのか、その不安だけが頭をもたげていた。それ以外は非常に順調に歩いた。意識してレールの間だけを歩くようにしていたが、そこから外れることも、転ぶこともなかった。もし転ぶようなことがあったら、崩壊しかけていた精神が本当に壊れてしまっていたかもしれない。

 

急に頭がおかしくなってレールからはみ出して滑落して死んだらどうしようとも思った。しかし、頭がおかしくなった時点で半分死んだようなものだからもうあきらめるしかないかもと思い直した。意味のない空想だ。そもそも日常生活でも、幹線道路を自転車で走ったりしているのだ。それと鉄骨渡りとどちらが危険なのだろうか?

f:id:naoko1989:20181110010410j:image  f:id:naoko1989:20181110011816j:image

f:id:naoko1989:20181110010406j:image

 

帰り道ではまた三回も鉄骨渡りをしなければいけない。そのことがいつも脳裏にあって、美しい景色も心から楽しめなかった。またこの光景がずっと続いているのでありがたみも薄れていく。

 

突然トロッコ軌道が終わって登山道に切り替わる。滑落の恐怖にとりつかれた私は、当面両手両足を使って出来損ないの獣みたいに移動した。急な階段があると「下りで足を踏み外して落ちないだろうか」といちいち心配をした。

 

f:id:naoko1989:20181110010444j:image

ウィルソン株は数少ない心安らぐスポットだった。

 

f:id:naoko1989:20181110010502j:image

鳴き声を聞いてから数分後にヤクザルが姿を現した。このときも心が和んだ。でもサル発見時に気持ちと一緒にステップも弾んでしまった。その瞬間、転げ落ちたらどうしようと心が暗転してしまった。

 

すれ違う人の数が増えていく。若い男性ふたりに「もう本当にあと少しですよ」と声をかけられる。縄文杉に近づいているらしかった。そこから20分登っても着かない。彼らは悪意まみれの悪意人間だったのだろうか? それとも、達成感や下りの楽さで、本当にあと少しだと思ってしまっているのだろうか?

 

ガイドを雇っているグループも多く、私の後ろでもガイドが「さあ、ついに、行っちゃいますよ」と話している。開けた場所に出る。縄文杉らしきすごくでかい木と、その周りに無数の木、そして展望デッキがご丁寧にも二カ所にあった。縄文杉は保護のためにデッキを作って近づけなくしている。そのデッキに登る階段がめっちゃ急で長くて最後につらかった。

 

f:id:naoko1989:20181110010535j:image
私が縄文杉周辺を写した写真だが、何がなんだかわからない。木がでかすぎて写真に収めることができないのだ。上の方にあるデッキから下を向いて撮ったようで、下の方にデッキがあることだけわかる。ここだけワイワイガヤガヤしていて、「観光名所」感があった。

 

f:id:naoko1989:20181110095638j:image

一応これが縄文杉。脳の感動を司る部位が石灰化してしまっていたので縄文杉に対していろいろ思うことは難しく、もうこれ以上新しい知らない道を通らなくて済むことだけがひたすらうれしかった。鉄骨渡りが控えていることには変わりはないけれど。

 

f:id:naoko1989:20181110010635j:image

昼食をとるために歩みを止めると、すごく寒かった。雨じゃなくてよかった。雨だったらどうなっていたんだろうとまた無駄な空想をして心を潰した。

 

帰りのバスは普通に時間がシビアで本数が少ないので、サクサクと下山する。下りの階段は予想通りめちゃくちぇ怖くて(落ちたら死ぬ)足がすくんだりしたが、進むほかないので進んだ。一カ所だけ本当に無理で、尻をついて降りた。登山ゾーンをうまく降りられたことで少しだけ自信が生まれ、鉄骨渡りも行きよりだいぶスムーズにこなすことができた。「もう怖くないかも」と甘い見通しを立てていたが、さすがにそんなことはなかった。

 

f:id:naoko1989:20181110012003j:image

登山口に戻れたのは15時半ごろ。やっと心の底から命に対して安心することができ、石灰化した脳もピンク色に戻っていった。達成感がようやくすべての毛細血管にじわじわ広がっていくような感覚をおぼえた。そしてなぜか指がむくんでパンパンだった。

 

電波のある場所に戻って真っ先に「縄文杉 死亡」で検索した。

 

f:id:naoko1989:20181110011206j:image

この看板を二ヶ所で見た。税収足りてないのかな。


以下、実用的なことを書いておく。
・マイカー規制ゾーンがあるとはいえ、少ない本数のバスに振り回されなくて済むからレンタカーを使ってもよかったかも。
・トイレは全部きれい。小林製薬が提供しているトイレがあり、「ウンコは消えます」と書いてあった。

f:id:naoko1989:20181110010915j:image
・杖は下りでめっちゃ役に立った。
・軍手も岩などをつかむ際には役立った。

・ガイドをつけると知識の面でも登山の面でもいろいろ教えてくれて安心だと思う。私はちょっとコミュニケーションをとるのがつらいかもと思った。

・私は精神がやられてしまったが、周囲を見回してもそういう様子の人はあまりいなかった。私のような高所恐怖症の人には厳しいかもしれない。

・体力的には何ら問題なかった。筋肉痛以外に後遺症もなかった。

・サルやシカは県道にめちゃくちゃたくさんいるので無理に山中で会おうとしなくていい。

f:id:naoko1989:20181110011356j:image
f:id:naoko1989:20181110011349j:image