日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

「カメラを止めるな!」感想(ネタバレ)

内容について触れます。

 

映画「カメラを止めるな!」を見た。「すごくおもしろい!でも内容は言えない!とにかく見て!」と様々な人が言っているので、「ゾンビ映画を制作していたクルーが本物のゾンビに襲われる」という公式発表のあらすじ以外何も知らない状態で見に行こうとしていたのに、なんとなく開いたSPA!の記事に「前半はゾンビ映画、後半はメイキング」という重大っぽいネタバレが書いてあった。「カメラを止めるな!について語る人がウザい」みたいな見出しの軽い内容の記事だったから軽い気持ちで読んだものだった。「※ネタバレあり」とか書いてなかったのに!ひどい!最低!

 

ただ個人的に、そこまで「最後のどんでん返しにビックリ」系の感動をフィクションに求めていない(構造だけがおもしろい作品なのであればあらすじだけ読んでそのアイデアに感心すればいい)ので、記事を読んでしまったときのショックはすぐに9割ほど減り、土曜日の朝に劇場に足を運んだ。8:30からの回だったのにほとんど満員だった。

 

ストーリーは確かにSPA!の記事の通りだった。ただ、私が思っていたのとは少し違った。話は関東近郊の廃墟でゾンビ映画を撮影しているシーンから始まる。恋人がゾンビ化してしまい、恐怖するヒロイン。「カット!」の声がかかる。こだわりの強い監督は、彼女の演技に納得できない。それで、この廃墟にまつわる都市伝説にのっとり、血の呪文を使って本物のゾンビを呼び出す。クルーは次々とゾンビ化し、俳優たちは怯えて逃げまどう。監督はその様子を大喜びで撮影する。「それなりにおもしろいけど、すごくおもしろいというわけでもないな」と思っているうちに、40分近くにわたるゾンビの場面は終わった。私がゾンビ映画に詳しくないから、みんなのおもしろがるポイントがわからなかったかも、とも思った。

 

ネタバレを読んでいたにもかかわらず(いや、「読んでいたから」かも)、私はこのゾンビの話が、映画の本筋なんだと思った。この映画はワークショップ発の低予算で作られた作品だ。ここからは、「本当の」メイキングが流れるのだと思った。つまり、このゾンビ映画に関わったスタッフの苦労の日々が流れて、それがなかなかおもしろいんだろうな、と。

 

違った。確かにここからメイキングが始まった。ただ、このメイキングが映画の本筋で、この映画は「ゾンビ映画を作った人たちの話」だった。まあ、公式発表のあらすじの通りだけど。

 

この映画の主人公は、ゾンビ映画パートの劇中劇で映画監督を演じていた中年の男だった。この男の職業は、テレビの再現VTRなどの監督。仕事ぶりは「早くて安くて品質はそこそこ」と自称する。家族は元女優の妻と、大学生の娘。娘は両親の影響か、映画監督を志望している。すでに小さな仕事の現場で下働きをしているが、ちょっとしたVTRに出るちょっとした子役に「目薬を使わず本気で泣け」と熱血指導を施し進行を遅らせるなど、理想ばかり追いかけて周りに迷惑をかけている。でも、たぶん、主人公は、失ってしまったかつての自分の姿を娘に見ている。

 

そんな中、主人公に新しい仕事の話が舞い込む。CSで新設されるゾンビ専門チャンネルの目玉番組の監督だ。なんと、ゾンビ番組を、生中継のワンカット(1台のカメラだけをずっと使う撮影方法)で制作するという、斬新で、無茶な話だった。

 

家を出て一人暮らしを始める娘にかっこいいところを見せたいと思い(たぶん)、仕事を引き受ける主人公。しかし、顔合わせの席に現れたのは、やる気のないアイドル(主演)、意識だけ高くて脚本にイチャモンばかりつけるイケメン若手俳優、アル中の俳優、極端におなかが弱い俳優、腰痛持ちのカメラマンなど、ひとくせあるスタッフばかり。どうにか撮影当日を迎えるが、2人の役者がドタキャンしたり、アル中が前後不覚になったり、胃腸の弱い男がおなかを壊したり、生放送なのにとんでもないトラブルが頻発する。それを監督はじめ役者やスタッフがなんとかして乗り越えていく。これが映画の本筋で、そういう意味での「メイキング」だった。それで、これがおもしろい。ゾンビ映画パートで観客が感じたであろう違和感の答え合わせが、ひとつひとつされていくのだ。

 

まず、「ワンカットで」という話が出たとき、ああなるほどねと思った。ゾンビパートを見ていて、私は「映像を撮影しているカメラ(カメラマン)」が途中から気になってしまった。映画におけるカメラは傍観者で、普通の映画を見ていてカメラマンのことなんか誰も気にしない。それが映画の適切なあり方だと思う。でも、このゾンビパートを写すカメラは存在感があるのだ。なんだろう、必要な部分を撮りきれていない気がしたし、撮影者が走ったりキョロキョロしたりしたりいる感じがあった。映画だから映画だと思って見ているけれど、素人が撮った、主観が入りすぎた映像にかなり近い。このおかしなカメラワークは、ワンカットのドタバタ(あとカメラマンの腰痛)によるものだったのだとわかった。

 

そこからはアハ体験の連続だった。間延びした会話や、死ななさそうだったキャラクターが殺されたこと、あるゾンビだけ演技が下手だったこと、意味がありそうだったのに回収されなかったシーンなど、少しばかり変だった(でも物語を破綻させるほどではない)小さなシーンが、すべて、現場でのトラブルを解決しようとした結果起きていたことだとわかる。そのきれいな種明かしの連続に、私含めた観客は声を出して笑った。

 

その体験自体がおもしろかったのだが、なんだか私は、「ちまたでおもしろいと言われているからおもしろいのかも」などとなるべく好意的にゾンビパートを見てしまったものの、メイキングパートでは「だよね、あそこやっぱり変だと思った」と後出しジャンケンをしまくる小さい自分にも笑ってしまった。これは映画そのものだけじゃなくて、映画の評判が引き起こした二次的なおもしろさだった。

 

ちなみに、トラブル収集に大活躍したのは、イケメン俳優目当てで現場の見学に来ていた監督の娘だった。映像の仕事に理想と情熱を燃やしている彼女は、その場の誰より熱い。父親が考えたスシナリオを完遂すべく、知恵を絞って走り回る。それは「作品より番組」をモットーに、番組続行が危うくなると「映像が乱れています お待ちください」を出そうとしたり、ストーリーを強引に変えようとしたりするプロデューサーの姿勢と正反対だ。最終的にプロデューサーも(そしてスカしたイケメン俳優も)彼女の熱に押し切られて、作品のために力を合わせて体を張ることになる。そこは少しだけ感動を呼ぶシーンになっている。

 

ただ、結果的にできあがったのは、傑作でもなんでもない微妙な映像作品だ。この映画では、番組の視聴者の反応は一切描かれない。たぶん、「大好評でキャストも監督もスターダムへ」みたいなストーリーはこの先にはない。ただ、関わった人間たちの映画観を少しだけ変えたかもしれない。見方を変えれば、ちまたにあふれるクソ映画やクソ番組にも、きっと懸命に関わった人びとがいて、その現場では、誰かの人生が少しばかり変わっているのかもしれない。そしてそれは、世間の評価とはまったく関係ない部分で起こっているのかもしれないと思わされた。今回は媒体が映画だったし、何より監督(役のほうではなく本物の監督)の映画に対する愛がたくさん伝わってきたが、この話は何も映画だけのものではなく、チームで目標に向かって何かをすることすべてに通じるのだろうと思った。

 

余談だが、プロデューサー役は私がテレビ番組に出演した際にお会いしたプロデューサーの方と髪型や服装が酷似していて、おそらく業界でよくいる感じの人なんだろうと思った。おもしろかったな〜。また見たい。