日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

出産について1(出産前夜〜入院)

先日はじめての出産を経験した。それについて書き残しておこうと思う。

 

出産予定日を10日後に控えた妊婦健診の日、産科医に「もう来週には産まれていると思います」と告げられた。胎児の位置が下がり、子宮の出口も開き気味だと。赤ちゃんの体重は推定2600g。私の体型からいって、小さいうちに産む方がいいだろうという判断のようで、内診の際にお産を進める効果があるという「卵膜剥離」という処置を受けた。ちょっと痛いし血も出ると思いますよー、と、助産師さんに言われた通り、痛かった。とても痛かった。「無」と思いながら処置の30秒ほどの時間を耐えた。なんでもないトーンで「痛いよー」と言われるのが不気味だった。

 

私は、せっかくの産休なのだから、できるだけ出産をひきのばしてのんびり過ごしたかった。だから「いい陣痛を呼んでさっさと産みましょう」ムードあふれる診察室の空気にひとりだけついていけなかった。

 

病院からの帰り道、「まじでもう産まれるかもしれないな」と直感し、妊娠初期の頃から行ってみたかったカフェに電車に乗って出かけた。卵膜剥離の影響かずっと腹痛があって、たまに歩くのがつらかった。カフェではスコーンを食べ、電車に乗って帰った。それが私が産前最後に乗った公共交通機関となった。

 

その夜は腹痛で何度も目覚め、汗をたくさんかいた。痛みは一種類ではなく、ズキズキ、キリキリ、ジンジンといった表現が合いそうなタイプのものがいくつも押し寄せてくる感じだった。

 

浅い眠りを繰り返し、普段通り6時に起床した。汗を流すためにシャワーを浴びると、唐突に強い寒気と吐き気が襲ってきた。同時に、意識が明瞭になったからか、腹痛がはっきりしてきた。すぐさま布団に戻ったが、うめき声をあげないと耐えられない痛みが訪れるようになった。

 

「これが陣痛だ」とはっきりわかったわけではないが、「これだけ痛くて陣痛じゃないはずないだろう」と感じる痛みだった。大きな痛みが来るのは6〜7分おき。うめくほどつらいのは数十秒ほどだが、前日から続く腹痛は痛みのベース音として鳴り続けていた。

 

痛みが10分おきになったら連絡するように言われていた病院に電話すると、すごくゆったりとした、修道女みたいな口調の女性が出て、「あら、まだつらくなさそうね、1時間後にまた電話してね、5分間隔になった場合も連絡していいわよ」というようなことを言われた。なるべく慣れ親しんだ自宅にいたほうがいいのよ、との配慮だったようだが、自宅で強まり続ける痛みを放置(じゃないが)するより、病院で何らかの対処をしてもらったほうがいいと思っていたので、来院を許してもらえず落胆した。しかし、これがもし陣痛でないなら、痛いのを押して病院なんかに行かずに家に篭もって治るのを待ちたいもんだとも思った。このころから部屋の照明が眩しくてたまらず、タオルケットをかぶって痛みに耐えた。

 

54分後。あまりの痛さに1時間待つことができず、ふたたび病院に電話した。今度は苦しそうな声で。前回はギリギリ残っていた社会性を発揮してしっかりした口調で話したから、まだ来ちゃだめだと言われた。仮病を使うようでバカバカしかったが、電話の向こうのシスター的な人に許してもらえないと、病院に行けない。途切れ途切れに現状を伝えると、「さっきより苦しそうね、では来てください」とあっさり許可を得ることになった。

 

しかし、前もって登録しておいた「陣痛タクシー」というサービス経由で配車を依頼するも、電話がつながらない。結局、夫が普通のタクシーを呼んでくれたのだが、それでもしばらくタクシーがつかまらなかった。携帯電話を2つ使い、いくつかの会社に同時に連絡をする。スピーカーから聞こえる呼び出し音が延々続く。当然、その間にも痛みは増す。先行きが見えなかったこの時間は、出産全体を通してもっとも地獄に近いものだった。

 

おそらく20分ほど待って、やっと捕まったタクシーがマンションの前に到着した。パジャマから外着に着替え、玄関にある適当なサンダルに足を突っ込み(靴下を履いたり靴を選んだりする余裕はまったくなかった。しかし入院中ずっとこのサンダルで過ごすことになったので、本当はちゃんと選んで靴を履けばよかった)、エレベーターに乗り込む。ほとんど歩けないような痛みの中で歩く。マンションから出るところで強い痛みに襲われ、その場で壁に手をあててうずくまる。痛みが去り、一歩一歩よろよろと歩く。そうしてやっと乗車した。タクシーは最近よくある天井が高いタイプのもので、これは乗車中に痛みの波が来たときにいろいろな体勢を取れるから便利だった。私は天井から下がっていた吊革みたいなものを引っ張って波が過ぎるのを待った。

 

病院で降ろされ、受付のイスまで数十歩ほど進み、座り込んだらもう歩けなくなった。夫が誰かを呼んでくれたようで、車いすに乗せられてどこかへ運ばれていくことになったが、うつむいて頭を上げる気力も失っていた私に周りを見ることはできなかった。狭い自分の視界が、臨場感が強いタイプの映画みたいに移り変わるところを、見るというか、目に入れることしかできなかった。