日記

低クオリティの弁当、本の感想、ときどきDA PUMPについて

2018/9/7の弁当、「かわいそう」

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キャベツともやしの蒸し物 カレーとココナッツ風味(ハウス食品のココナッツペーストというのを初めて使いましたが缶の方がおいしいですね。でも簡単さを目指して作られた商品にこんなこと言ってもしょうがない気がする)、鶏胸肉とピーマンのマヨネーズポン酢炒め。

 

幼い子供を持つ親がすでに起こしてしまってもう変えられないこと(名付けとか含めて)に対して外野が言う「子供がかわいそう」という言葉、なんか気持ち悪いと思っている。

 

もはや「かわいそう」と言っても何の助けにもならない状況なのであれば、その言葉って子供の「かわいそうさ」を固定化してしまう感じがする。親と子供は別の人格を持ち、また子供は非力で、親を頼るほかない。だから「こんな親を持って子供はかわいそう」なんだけど、だからこそ、あえて他人が言うことじゃないよなあというか。私が、もう変えられないことについて「かわいそう」とは言われたくないから特にそう感じるのかもしれない。まあ私も当然、ちょっとこんな親では子供が気の毒だなあと思ってしまうことはあるけど、なるべく言わないようにしている。